『あの世は論理的でない世界―死後の世界について⑩』
あの世は論理的でない世界―死後の世界について⑩ 大川隆法総裁
過去の人生がリアルに見える
死んだあとに、フラッシュバックといって、映画のスクリーンにようなものに自分の数十年の人生が一瞬のうちに映しだされたりして、人生を回顧すのです。
フラッシュバックで見る自分の過去世が、この世の目で見る場合と違うのは、第三者の目でその場面が見え、相手の気持ちが伝わってくるということ、さらに、自分のしたことが、その後、どのように影響していったかということまで、追跡して分かってくるということです。
たとえば、人間関係において、仲違いをしたり、くっついたり離れたり、さまざまなことがありますが。その後、相手がどうなっていったかということが分かってしまうのです。
こういうことを、死んでまもないころに、あの世で勉強させられます。それを一通り勉強し終わって、反省が終わらないと、霊界での行き先が決まらないのです。
一つひとつ、人生の場面を見せられて、「あなたは、この場面についてどう思いますか。これは正しかったかですか、正しくなかったですか。この場合はどうすべきでしたか」と、自分の判断を訊かれます。
たとえば、会社の同僚が病気になって入院したときに、花束を持ってお見舞いに行ったけれども、それはかたちだけで、心のなかでは、「これはライバルが一人減った。ざまをみろ」などと思っていたとすると、そういうことまで若ってしまうのです。
このように、死後の世界では、過去の人生が、非常にリアルで、ドラマ性のあるかたちで見えてくるわけです。
過去・現在・未来が同じ空間に存在する
その際に体験することは、前回述べたように、時間の観念がこの世とまったく異なるということです。昔の場面のなかに自分が入り込んだような感じで見えることがあるのですが、「霊界では、過去・現在・未来が、あるようで、ない」というのは、こういうことを言っているわけです。
過去のことであるのに、現在ただいまのように見えるのです。ちょうど、映画のスクリーンのなかに飛び込んだような感じで、その場面を体験することができます。それは、事実上、タイムトリップをして過去の時代に行ったのと同じです。
実は、一部の人には、未来も明かされることがあります。未来のことは、まだ起きていないのに、すでに起きているように見えるのです。「このままでいけば、このようになる」という未来はあるのです。したがって、未来の世界を体験することもできます。
その未来は、「いまの流れでいけば、このようになる」ということなので、「すでに起きている未来なのに、それを変えることもできる」という、不思議な不思議なことがありうるのです。
以前に、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画がありましたが、ちょうどあのようなものです。あの映画のなかでは、「このターニングポイントで、この二人が結婚しないと、未来が変わってしまう」というような話しがありました。そういうターニングポイントでどうなるかによって、墓石の墓碑銘が変わったり、写真の画像が変わったり、いろいろしていましたが、そのように未来が変わるのです。未来はあるのですが、変えることができるわけです。
「このままであればこうなる」という未来があり、その未来はすでに起きていて、その未来を体験することが可能であり、それを変えることもまた可能であるという、まことに不思議な世界です。
したがって、霊界における過去・現在・未来は、地上の時計で計るような時間としては存在していないのです。過去・現在・未来が同じ空間に存在可能なのです。
ただ、過去・現在・未来が同じ空間に存在するといっても、「どちらが先で、どちらがあとか」という順序はあり、親と子が逆になるようなことはありません。そういう「どちらが先か」という順序は分かるのです。
霊界は、そのような世界なのです。
霊界では因果の理法以外に論理的なものはない
科学教育を受けた人は、「科学的に実証できないものは信じられない」とか、「論理的に説明できないものは信じられない」とか、よく言うのですが、あの世へ行ったら、その論理的なものがないのです。霊界は、まったく論理的ではない世界なのです。
論理的ではない世界を論理的に証明するということは、不可能です。それは、前に述べたように、三十センチの物差しで空の広さを測ろうとするようなものであり、測ることはできないのです。
霊界で唯一、論理的なものがあるとすれば、当会でも教えている因果の理法、因・縁・果・報の法則です。何事にも原因があり(因)、それに何かの条件が加わって(縁)、結果が出て(果)、その結果に関して影響が出てきます(報)。こうした因・縁・果・報の順序は、論理的に存在します。「物事には必ず原因があり、何かの条件が加わって、結果が出て、その影響が出る」という因果関係は存在します。
しかし、これ以外には、論理的なものはまったく存在しません。
あえて、この世的に理解可能な説明をするならば、テレビやラジオなどの電波の世界に似ていると言えます。あるいは、どちらかというと、学術書よりも小説の世界、フィクションの世界に近いのです。小説であれば、「何でもあり」で、いろいろなことが可能です。そういう、小説の世界のようなものなのです。
小説は、論理的には書かれていません。登場人物がさまざまに絡みあって、いろいろなドラマが行き当たりばったりに起きてきます。霊界は、それとよく似ているのです。
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