与えられていることに感謝しよう 親への欲求不満は、大人になっても根っことして残る世の中の人々の苦しみを見ていると、たいていの場合は、欲しいと思うものが手に入らないことによる苦しみです。
それは、他の人に対する、「こうしてほしい。ああしてほしい」という思いです。
それには、異性に対するものもあるでしょう。また、子供であれば、「自分の親に、こうしてほしい」という思いや、「自分の親に、もう少し力があったら、よかったのに」という思いもあるでしょう。
あるいは、すでに子供ではなく、充分、大人になっていても、「少なくとも、自分の現在の苦しみの原因は、子供時代に、自分の親に力がなかったことだ」というような場合もあります。
「親に経済力がなかった」「親が偉くなかった」「田舎者であった」ということもあれば、「親が、すでに年をとっていた」「親が病気であった」ということもあります。
そのようなことで、子供時代に、親に対する、いろいろな欲求不満があり、充足されなかったという場合もあるのです。大人になっても、それが根っこになって残るわけです。
この部分は、埋められるかというと、なかなか埋められないのです。
子供のほうは、この部分について充足されたいと思っても、充足されることは、ほとんどないのです。
こういう、幼少時、子供時代に自分が満たされなかった欲求不満のようなものが、社会人になってから、違ったかたちで表れることがあります。本来は親に対して求めていたものを、たとえば、上司、上役に対して求めたりするのです。親に求めていたのと同じような評価を、親の代わりに、会社の部長や社長、役員などに求めたがるわけです。
ところが、そのような振り替えをしても、たいていの場合、親に対して欲求不満を持ったのと同じように、また欲求不満になります。自分が思うようには満たされないのです。
与えられているものに感謝を子供時代に受けた心の傷が、大人になってから、別なかたちで展開することが多くあります。それで、不幸な人生をつくるのです。
そのもとは、原点において、「前半生、自分は不幸であった。充足されなかった。だから、これを充足してくれないだろうか。埋め合わせてくれないだろうか」と思うところにあります。
そういう思いで人生を生きている人は、実は底なしの沼のようなもので、そういう人に対して、いくら与えても。その与えたものは消えて行ってしまうのです。
大事なことは何であるかというと、「もう、いいかげんに、『人から貰うことで自分が幸福になれる』という考えを捨ててはどうか」ということです。
これは、きりがないのです。
物質的な面、物やお金についても、あるいは、他の人からの社会的評価や名声、その他についても、健康についても、きりがありません。
「これで最高。これで完璧」というものはないのです。
苦しみのもとは、たいていの場合、自分自身がつくりだしているのです。
「人から奪いたい。取りたい。貰いたい。貰わなければ幸福になれない」という思いをやめて、自分が現に与えられているものを発見し、あるいは、他の人の悪いところではなく、よいところを見ていこうとすると、そういう評価を変えること、考え方を変えること自体が、実は人に与えているのです。
人に与えるほうに思いを切り替える「足りないところだけを見て、それを求め続けた場合、幸福になれる人間はいないのだ」ということを、まず悟らなければなりません。
すでに多くのものを与えられているのです。
それに感謝することから出発すると、人はお返しをしなければいけなくなり、お返しの人生になります。
実を言うと、お返しの人生においては、不幸になる道がありません。
自分がお返しの人生に入ったときには、不幸はないのです。
そのため、人を愛するほう、人に与えるほうに思いを切り替えたならば、その「観の転回」をすることによって、結局、人生において不幸が消えていくのです。
むしろ、それは幸福の創造なのです。
大川隆法総裁著『幸福の法』より
幸福の法―人間を幸福にする四つの原理
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