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『人生とは仏に近づいてゆくための階梯』

人生とは仏に近づいてゆくための階梯


人生とは仏に近づいてゆくための階梯


人生を有限なものととらえ、

人間は死ねば終わりなのだと

考える人にとっては、

いろいろな考え方も可能でしょう。

しかし、人間の本質は、

不滅の魂であり、

永遠の生命体であると

信ずるものにとっては、

人生とは、

より仏に近づいてゆくための

階梯でしかないのです。


大川隆法総裁著『黄金の法』より



黄金の法―エル・カンターレの歴史観


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『天命を発揮することが成功への道』

天命を発揮することが成功への道


天命を発揮する


「自分に与えられた環境のなかで

最善を尽くし、天命を発揮しよう」

と思うことが大事です。

そう思っただけで、

きのうまでとは違う自分となり、

きょうから仕事が

できるようになります。

そういう自覚を持つことが

成功への道なのです。


大川隆法総裁著『幸福の法』より


幸福の法―人間を幸福にする四つの原理
幸福の法―人間を幸福にする四つの原理


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『反省の意味』

img110407.jpg


反省の意味


この世のものには、

取り返しがつかないことは、

たくさんありますが、

心のなかの事実は

取り返しがつくのです。

そのために

反省があたえられている

わけです。


大川隆法総裁著『幸福の法』より


幸福の法―人間を幸福にする四つの原理
幸福の法―人間を幸福にする四つの原理


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『心を支配し、心の主となれ』

川の流れように


心を支配し、心の主となれ


すべては心より生じ、

幸福も不幸も

心より生まれてきます。

「心に支配されることなく、

心を支配せよ。

心を主とすることなく、

心を主となるべし」、

これが大事なのです。


大川隆法総裁著『大悟の法』より


大悟の法
大悟の法―常に仏陀と共に歩め


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『愛は光』

愛は光


愛は光



愛は光です。

光に勝てる闇がないように、

愛に勝てる悪も、

愛の大河を最後まで

ふせぎきれる地獄もないのです。


大川隆法総裁著『太陽の法』より


太陽の法―エル・カンターレへの道
太陽の法―エル・カンターレへの道

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『日本は夢の国』

日本は夢の国


日本は夢の国


発展の遅れた国から見れば、

日本は本当に夢の国です。

日本は未来社会なのです。

そういう未来社会に住んでいながら、

日本の国民は、

「世界同時不況が来た」「世界恐慌だ」

などと言って騒ぎすぎです。

しかし、日本には物が溢れていますし、

年末年始には街は買い物客で溢れていて、

発展途上国から見れば、

「何を言っているのだろう」という感じでしょう。


日本は素晴らしい国です。

努力によって、

もっともっと立派な国にしていくことが

できると考えています。


大川隆法総裁著『救世の法』より


救世の法
救世の法―信仰と未来社会


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『病気が治る信仰のパワー』

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病気が治る信仰のパワー


病院で治る病気は

病院で治してくださって

結構ですが、

難病・奇病ほど、

霊的なものが

関係していることが多いと思うので、

病院で治らず、

医者が「駄目です」と言って

ギブアップしたら。

いよいよ幸福の科学の出番かなと思っています。

病院で治らなくなったら、

あとは信仰パワーで治してください。

不可能が可能になる時代が、

すでに到来しているのです。


大川隆法総裁著『奇跡のガン克服法』より



奇跡のガン克服法―未知なる治癒力のめざめ

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『教育への情熱』



教育への情熱 2011年1月23日 滋賀大津市民会館


現代日本に必要な徳力ある教育

私は、宗教家は、本質的に教育家だと思っています。実際に、小さな子供から百歳代の人たちまで教えています。

そのなかの、特に中学・高校を中心とする方々に、もう一段徳力の増強、啓蒙がなければ、この国の未来は危ういものになるのではないかという危惧を、強くしています。

(幸福の科学学園に)この滋賀の地がよいと私が考えた理由の一つは、この地にかつて中江藤樹先生という立派な方がおられたこと。年老いたお母様の面倒をみるために、他国から帰って、近江後で私塾を開かれた。この方が「近江聖人」と呼ばれた理由は、その徳力・感化力に非常に非凡なものがあったからです。

この方のように、徳力ある教育をすると、周りに知らず知らずに大きな影響を与えて、その地域を超えて、日本全国に広がる力があったのです。


指導者は「高貴なる義務」を

私たちも、今の日本には、教育として、もうひとつ、徳育が不足しているのではないかと感じています。

私たちは、神仏の存在を認めて、「人間は高貴なる存在」と想定しながら活動しています。そのなかで指導者として育った人たちには「高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)」が伴います。その騎士道精神でもって、恵まれない人、苦しんでいる人、悩んでいる人たちを助けていきなさい、ということを言っています。


言い訳せず、一歩を進める

受験秀才をつくる過程で、「言い訳人間」を大量生産したら、国にとって未来はありません。世の中は、調子の悪い日が多く、言い訳が立つことは数多くあります。言い訳をするのは簡単。でも、言い訳をするような状況は毎日やってくる。大事なことは、どんな好況下にあっても、逆風下にあっても、言い訳せず、一歩を進めていく努力です。

「どうやったらできるか」を考える人をつくること。高貴なる義務を背負って、騎士道精神でもって、世の中の人々の幸福を実現していく。そういう人を、私は数多くつくっていきたいのです。


人生、発奮しなければ、何事も成し遂げることができないのです。


教育の法―信仰と実学の間で


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『救世の法』講義

救世の法

『救世の法』講義 2011年1月16日 東京正心館


宗教を否定する国の発展は危うい

動物たちは、その日の糧を得て、生命を維持できればそれでよいかもしれませんが、人間はそれでは充分ではありません。目に見えない価値を感じ、そのなかに生き甲斐を見出せなければ、人間としての存在根拠はありません。

繰り返し申し上げますが、日本に一本、背骨を通したいのです。どの国においても、背骨に当たるのは、国家としての基本的精神です。それは道徳から来ているし、道徳のもとにあるのは宗教です。

世界でトッポを争っていりような国が、何ら精神的な発信もできず、世界に対するリーダーシップも持てないでいるような状況は、実に、情けない状況だと言うことを知らなければならないと思います。


正しい信仰心が希望の未来を拓く

自分が、神仏の子として、神仏の光の一部を宿しているという人生観を持つのと、自分を、偶然生まれた、ただの土くれ、あるいは、機会と同じようなものとして生きるだけだという人生観を持つのと、どちらが皆様の人生にとって素晴らしいか、よく考えていたただきたいのです。

今後、予想外の事態が起きてくると思います。しかし、迷わないでください。その時のために、私は生まれてきたのです。どうか信じてください。

私は世界教師として、世界の人々が向かうべき方向、「地級の未来は、こうでなければならない」ということを示すことを、本当の仕事として現れています。それを知っていただきたいと思います。

救世の法
救世の法―信仰と未来社会


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『己心の魔に打ち克つには』

己心の魔に打ち克つには


「己心の魔に打ち克つには」 2011年1月30日 大川隆法総裁 名古屋緑支部精舎


「己心の魔」で出てきやすいのは、「自分がかわいい」という気持ちです。

何が本当に大で、何が小なるものかは、自分を基準にしていると、そう簡単にはわからないことです。



己心の魔は、誰にでもあり得ることです。

普段は何でもないようなことでも、何らかの使命なり、運命の転換点に立とうとすると、揺れてきて、潜んでいたものが頭をもたげてくることはあります。私もそのとき(退社し、幸福の科学を立ち上げようとするとき)迷ったのは、この世の人間関係をほとんど失うだろうということと、私を頼りにしていた家族への心配でした。


己心の魔の最大のものは一体何かというと、霊の方が本体で、肉体が仮の存在だということを、言葉では理解できていても、生きている身としては、なかなかそこまで思いきれないところです。そういう意味で、霊的自覚が本物かどうかが試されます。


自らの中に魔が潜んでいるのは、自分ではそう簡単に認められないことです。現在ただいまの自分を有利にする考え方で、相当理に適っているようなことを言ってきます。

「自分かわいい」という気持ちは、誰にもありますが、そのなかで、自分にとって、真実、大切なものを選び取るということは、非常に難しいことです。

現状維持の自分を守るのが自己信頼なのか、それとも、真実の自己を発見して、その中に自分の未来を自信をもって見通すことをもって自己信頼というのか。自分自身の自信となっているものが本物かどうかは、突き詰めて問われることになります。


自分の置かれた立場、環境、悟りのレベルに応じた課題が出てきて、その都度、迷いが出てきます。そういう己心の魔を打ち破っていかなければなりません。


己心の魔は、「迷い」であり、自分自身に対する一種の試験なのです。




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『悪魔の正体と見破り方』

悪魔の正体と見破り方


悪魔の正体と見破り方 2011年1月10日 千葉佐倉支部精舎



悪魔に取り憑かれるタイプの人は、自分を反省することはなく、利己心と他罰的な念いが非常に強い傾向があります。

悪魔が入ってくる入り口として、嫉妬心、霊やあの世を否定し、認めない「邪見」、うぬぼれ、自我の強さ、謙虚さのなさ、強欲、愚痴、自己保存が強い怠け心などがあります。

悪魔もそれなりに頭がよくて、ある意味で“狡猾さ”も含めた 頭のよさですね。

だから、この世的に見て優秀な人にも悪魔は入れます。

信仰心が立っていれば、『仏説・正心法語』や『エル・カンターレへの祈り』で、悪魔祓いは十分可能です。

この世には、執着になるような、いいものがいっぱいあります。

しかし、家も、財産も、親も、子どもも、いずれ別れなければならない時が来て、自分ひとりであの世に旅立つ時期が来ます。

船が沈みかかるときは、どんなに価値ある積み荷でも、最後は捨ててください。裸一貫になって、信仰心だけを持ってあの世に還る覚悟を固めれば、いかなるものもあなたがたを支配することはできなくなります。


悪魔の活動の本質は、破壊です。

人の不幸や、世の中の価値あるものを崩壊させることに喜びを感じている、人間として最低の心境です。そういう風にはなりたくありません。


未来に向かって、世界を平和に幸福にしていきたいということを、心に強く願ってください。悪魔が来ているとみたら、信仰心で戦うことです。どうか教団の中心部から霊流を引いてください。 


結局、最後は何かというと、信仰心がかちっと立っている場合は、エクソシストは成功して、悪魔は取れます。

悪魔祓いの最後は、やはり『執着との戦い』になります。


エクソシスト入門
エクソシスト入門―実録・悪魔との対話

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『悲しみや苦しみの意味』

悲しみや苦しみの意味


悲しみや苦しみの意味


いろいろな苦しみを経験することは、

その人の器を大きくする上で

役に立つのです。

悲しみや苦しみを、単に

否定的なものと見るのではなく、

「そのなかにも真理への芽生えがある」

と捉えるべきです。

悲しみや苦しみによって、

人間を理解できる範囲が

広がるのです。


大川隆法総裁著『幸福へのヒント』より


幸福へのヒント―光り輝く家庭をつくるには
幸福へのヒント―光り輝く家庭をつくるには


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『テレビと読書』 大川隆法総裁 心の指針75

『テレビと読書』 大川隆法総裁 心の指針75


『テレビと読書』 大川隆法総裁 心の指針75


テレビは進化するメディアだ。

二百年前の人が、

本や新聞を見ても驚かないだろうが、

テレビには驚くだろう。

誰もが、容易に情報を入手できるという意味で、

テレビの実力はあなどりがたい。

子供や老人、

仕事から遠ざかっている主婦は、

難しい本や新聞は読みたがらないが、

テレビなら簡単に知識が得られるのだ。

こうして、ズルズルと流されると、

テレビを見る時間は増える一方だ。

しかし、

エンターテイメントと雑学が多いのには、

やはり用心しなくてはなるまい。

テレビを長時間見ても、

知的な人間にはならないのだ。


読書は意志の力を鍛え、

考える力を身につけさせ、

繰り返し読める点が、テレビとの違いだ。


孤独な時間が、

知力を目覚めさせるという事実を、

忘れてはなるまい。



教育の法―信仰と実学の間で

繁栄の法―未来をつくる新パラダイム
繁栄の法―未来をつくる新パラダイム

復活の法―未来を、この手に
復活の法 -未来を、この手に

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『あの世は宗教が取り仕切る世界―死後の世界について⑭』

あの世は宗教が取り仕切る世界―死後の世界について⑭


あの世は宗教が取り仕切る世界―死後の世界について⑭ 大川隆法総裁


あの世では宗教がないと生きていけない

「死後の世界について」の最終回です。

前回までに、この世での生き方によって、死後に、幸福感の強い世界に行くか、苦しい地獄の世界に行くかが分かれるので、生きているうちに真実を知り、信じることが大切なのであるという話をしました。

私たちは、この世において救済の仕事をしていかなければなりませんし、死んであの世に還ってからも、その仕事の続きが待っています。

実際に死んであの世に還ってみると、「宗教というのは、こんなに偉大なものだったか」と感じます。この世では、宗教は非常に見くびられたり、悪く言われたり、さんざんなことがありますが、あの世へ行くと、「宗教様々」です。あの世の世界は、宗教がすべてを仕切っている世界であり、宗教がなければ生きていくことができませんし、その世界に存在することができないのです。

したがって、当会の教えを学んでいるみなさんのなかに、たとえいまは貧しい生活をしながら修行している人がいたとしても、あの世では、光り輝く世界が待っています。このよではどんなに苦難困難や迫害などがあっても、あの世では、宗教はメジャーであり、すべてが宗教の世界なのです。

「宗教は信じられない。死後の世界は信じられない。魂は信じられない。天使は信じられない。仏や神も絶対に信じられない」という人は、この世の人間とか、会社や自宅などの建物とかに執着して離れなかったり、お墓の石などに抱きついて離れなかったりする地縛霊となるか、あるいは、多くの人を惑わした思想犯たちが行く無限地獄という所へ行くか、そのどちらかになります。

ただ、地獄にも信仰心のある人たちはいます。それは悪魔を信じた人たちです。一部にはそういう間違った教えを死んいている人もいるので、信仰心だけで、すべてを片づけられるものでもありません。

そのように、間違った宗教が地獄界に及んでいる部分もありますが、sの世は、宗教が九十五パーセント以上を仕切っていると言ってよいのです。

したがって、宗教の仕事は非常に大事なのです。


反省や祈りは高級霊とつながる携帯電話

しかし、この世においては、宗教の戦力は非常に少なく、宗教者の仕事をする人が足りません。そのため、真理をなかなか信じてもらえずに苦労しています。前に述べたように、「三十センチの物差しで測って証明せよ」と言われて、それに対して反論ができずに苦しんでいるような状況です。

最終的には、死ねば全員が体験することなのですが、唯物論的な科学主義が、現代人を迷妄の底に落とし、無明の世界に落としているので、何とかして、そこから救わなければいけないのです。

前回、影山民夫さんが霊人として訪ねてきたときに話をしましたが、確かに彼が言うように、「『何百万部のベストセラー』なんて、まだ甘いですよ」というのは、そのとおりなのです。地球の人口から見ても少ないですし、また、本を読んだ人であっても、本を読んだだけでどこまで分かっているかは疑問です。

「死後に、フラッシュバックによって人生を回顧する」という話もしましたが、当会で行っている反省行においては、自分の過去のシーンを思い出して反省したり迷走してたりしているので、生きているあいだに、すでにフラッシュバックを始めているわけです。

そして、こうした静寂な時間でなければ、異次元との交流も始まらないのです。

万一、みなさんが死後に暗い世界に行くようなことがあったときには、祈りを使ってください。祈りは電話とおなじなのです。必ず届きます。生前、自分なりに反省をしたり、修行したつもりであったのに、生き方を間違ってしまい、光の世界に還れなかったときには、祈ってください。祈りは必ず届き、何らかの救いの手段が働きます。天使が救いに行くこともあれば、救いの手段を何か与えてくれることもあります。祈りを忘れないことです。短い祈りであっても効きます。

したがって、できるだけ多くの人に、当会の本を読むだけでなく、信者になっていただき、正しい霊界の知識を持つと同時に、生きているうちにきちんと人生を反省し、また、祈りや瞑想を精舎などにおいて経験していただきたいのです。

それが高級霊とのコンタクトの道具になります。

そういうツールを持っていることが大事です。反省や祈り、経文などは、異次元の高級霊とつながるための携帯電話とおなじなのです。こうしたものを、一人でも多くの人に経験していただきたいと思います。

あの世の実在界と比べると、「この世の仕事には、積み残しがずいぶんあるな」と感じますが、それがこの世の難しいところでもあります。そういう意味でも、幸福の科学の教えや活動を、できるだけ広げていきたいと私は考えています。(了)

死んでから困らない生き方―スピリチュアル・ライフのすすめ
死んでから困らない生き方―スピリチュアル・ライフのすすめ


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『生きているうちに真実を知れ―死後の世界について⑬』

生きているうちに真実を知れ―死後の世界について⑬


『生きているうちに真実を知れ―死後の世界について⑬』 大川隆法総裁


悪魔の手先として働いた人の場合

地獄の行き方として、真っ逆さまに地獄に堕ちていく場合と、霊界で反省をし、守護霊と相談をした上で、歩いていく場合があります。

それから、生きているあいだに悪霊に憑依され、何体も憑かれているような人は、死ぬときに、前に述べたような、「おじいさんやおばあさん、あるいは天使が迎えに来て、光のトンネルをくぐっていく」というかたちではなく、憑いているものにそのままサーッと拉致されるように連れていかれることがあります。

そういう人は、生きていたときに、すでに悪魔の手下となり、一定の使命のもとに働いていたような人です。悪魔がこの世に派遣した一種の特殊部隊のように、悪魔の手先として一定の目的を果たしていた人は、そのようになります。

そのように、悪魔の手先として役に立った人が死ぬと、仲間が来てサーッと連れていくのです。

この場合は、本人が悪魔と導通しているので、天使もほとんど手が出せません。ラグビーのスクラムのようにワーッと来てザーッと持って行かれてしまうので、天使のほうも説得する間もなく、どうしようもないのです。

こういう人の場合は、禅で言う「冷暖自知せよ」、つまり、「冷たいか暖かいかは、自分で体験せよ」ということで、嫌になるまで地獄を経験してもらわなければしかたがありません。

地獄は、だいたい以上のような世界です。


多くの人が真実を知らずに生きている

これに対して、霊界の上の方の世界は、さまざまな本で私が説いているような世界です。

そちらの世界から、当会の信者であった影山民夫さんが、たまに私の所を訪ねてくることがあります。彼はこのようなことを言っていました。

「私は、あの世の世界に還って、何年かたちましたが、あの世で経験したことは、すべて先生の言われていたとおりでした。ほんとうに全部そのとおりで、一つも間違いはありませんでした。

しかし、この世の人々は、真理を全然知らずに生きています。そして、真理を知らないままに死んでいきます。そういう人たちは、あの世に行ってから大変なことになります。

教団は、もっと伝道をがんばらなければいけないのではありませんか。この程度の伝道でよいのですか。地上には
六十億以上の人がいるのですから、『何百万部のベストセラー』といっても、ほとんどの人は救いの網に引っかかりませんよ。『何百万人が読んだという程度では、届きませんよ。

あの世は先生のおっしゃるとおりの世界なので、もっと多くの人に知らせなければいけません」

私は彼に、「あまり焦っても、この世にはこの世のルールがあるので、そう簡単にはいかないのだ」と答えたのですが、実際に真実を知った人は、「早くみんなに知らせなければ大変だ。真理を知らない人が半分以上もいるなどというのは、不親切すぎる」ということを言います。

死後の世界は、苦しかったり、悲しかったりする世界ではありません。もちろん、悪い生き方をした人にとってはそういう世界であることもありますが、真っ当に生きた人にとっては、この世よりずっと美しく、ずっと安らいでいて、ずっと幸福感の強い世界です。「この世に帰りたい」と思う人はほとんどいないぐらい、ほんとうに良い世界なのです。

けれども、前に述べたように、この世の人生というのは一種の試験であり、一定のあいだ、さまざまな経験を積むとともに、盲目のままに実験をされているのであって、その結果次第では、あとで苦しい世界も待っているわけです。

そのため、真実を知らないということは大変なことなのです。それを昔話か何かのように、「非科学的な迷信である」とか、「昔の人が信じていた時代遅れのものである」とか思っているような現代社会は危険であると言えます。

現代では、信じていない人がたくさんいるので、実際に、死後の世界は混乱しています。

さらに、いまは人口も増えているので、「今回、初めて地上に生まれた」という人もたくさんいるようです。そのなかには、もとは人間ではなかったものもいます。人間ではなかったものとは、人間の近くにいた生き物です。

また、宇宙からもたくさんの魂が地球に来ており、「初めて地球で肉体を持った」というひともいます。

そういう意味で、生きているうちにあの世のことを知り、そして信じていただきたいと思いますし、さらに、あの世に還ってから、自分で実体験をして、検証していただきたいと思うのです。


死んでから困らない生き方―スピリチュアル・ライフのすすめ
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『地獄に堕ちるときの感覚―死後の世界について⑫』 

地獄に堕ちるときの感覚―死後の世界について

『地獄に堕ちるときの感覚―死後の世界について⑫』 大川隆法総裁


真っ逆さまに地獄に堕ちる人

あの世の世界には論理性がなく、その人の理解度によって違う世界が見えるのです。そして、この世で得た悟りが、死後に行く世界のそのままつながっているのです。

臨死体験の報告は、ほとんどが、安らいだ世界に行く話ばかりなのですが、そうではない場合もあるということを知らなければいけません。安らいだ体験でない場合には、あまり発表したがらないのかもしれませんが、地獄の体験をしている人も、現代ではけっこう多いはずです。

最もひどい人になると、「真っ逆さま」という形容そのもののかたちで落ちていきます。そういう場合の落ちて行く感覚というのは、あくまでも主観的なものですが、ほんとうに地級の中心部ぐらいまで落ちたような感じがします。

何百キロ、何千キロと落ちていき、どれだけの距離を落ちたか分からないぐらい、深くまで落ちて行く感じです。エレベーターのロープが切れたような感じ、あるいは、底なしの井戸に飛び込んだような感じで、落ちていくあいだの時間も距離も分からないぐらいです。

そして、どこかで止まるのですが、周りが真っ暗で何も分からず、手探り状態ということもあります。ちょうど夜明け前の暗さのようなもので、寒さと孤独感のなかでしばらくじっとしていると、うっすらと周りが見えてきます。

それからとの光景は、当会の映画に出てくる地獄の描写によく似ています。

そういう暗い世界である場合もあれば、ボコッボコッとマグマがが吹き出したり、火が吹き出したりするような場所の近くにいる場合もあります。

あるいは、落ちるや否や、何ものかが襲ってくる場合もあります。

みなさんも、高熱を出したときなどに、そういう怖い悪夢を見たことがあるでしょう。刀を持った人に追いかけられたり、棍棒を持った人に追いかけられたり、マシンガンを持った人に追いかけられたりした経験があるだろうと思います。

そのように、下に落ちてしばらくすると、自分を害そうとするものが追いかけてくるという恐怖体験をする人もいます。リアルで、実感があります。

いつも「人から害される」と思って人生を生きてきたような人は、地獄へ行ってそういう体験をすることが多いのです。

この世界は広大無辺であり、いろいろな話しが無限にあります。


地獄へ歩いて降りていく人

いまは、病院で死ぬことが多いので、たいての人は、病院のベッドの上で幽体離脱をして、トンネルを抜け、三途の川を渡り、あの世へ行きます。

その後、教会やお寺に行って、いろいろ反省をさせられ、行き先が決まります。その結果、四次元精霊界で修行する人もいれば、「自分の人生は不合格でした。すみませんでした」と反省文を書き、どのくらいの修行は必要かを守護霊たちと相談して決める人もいます。

「こういう人生だと、そのカルマの刈り取りをするためには、この程度の修業は要るだろう。そういうことなので、あなたの行き先はこちらです」と言われ、そちらの方へ歩いて行くと、美しい花が咲いている、なだらかな丘から、サーッと下り坂が始まっていきます。

その下り坂を、とぼとぼと歩いて下りていかなければいけません。コースは幾つかありますが、そこを下りていくのです。

きれいなお花畑だったのが、だんだん周りの景色が変わってきます。ちょうど浅間山の溶岩の荒原か、阿蘇山かどこかのような、ごつごつした岩肌の地面になってきて、木も潅木になり、それもまばらになってきます。

さらに歩いていくと、だんだん薄曇りになり、周りが暗くなってきたり、気温が下がってきたりします。そのように、下がっていきながら少し旅をするのですが、あおのあいだに、いろいろな経験をします。

地獄の境目にも、いろいろなものがあります。さまざまな人と出会うこともありますし、そのあたりで迷っている人もたくさんいます。自分を惑わす人もいれば、道案内をしてくれる人います。

また、下から上がってくる人もいます。「私はやっと帰れることになったのです。あなたはこれからですか。ご苦労様です。がんばってきてください。地獄も住めば都で、済んでしまえば、すべてがよいことでした。私は六十年の修行が何とか終わっていま帰るところなのです」などと言う人もいれば、「ああ、向こうから、懐かしい私の守護霊が迎えに来た」などと言う人もいます。

そういう人とすれ違うことがあり、「修行が終わった人はいいな」と思いながら下っていくのです。

ただ、このように歩いていける人は、まだそれほど罪は重くないのです。自分で自覚して下りていく人は、ストーンと落ちる人ほど悪くはありません。



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『あの世とこの世の感覚の違い―死後の世界について⑪』

あの世とこの世の感覚の違い―死後の世界について⑪


『あの世とこの世の感覚の違い―死後の世界について⑪』 大川隆法総裁


理解度によって違う世界が見える

「霊界では、時間の観念がこの世と異なり、過去・現在・未来が同じ空間に存在する」ということ、「霊界には『因・縁・果・報』の因果の理法以外に論理的なものは存在しない」のです。


あの世の世界は論理的ではないのです。非現実といえば非現実です。時間や空間はまったく関係の無い世界であり、「こんなことがありうるだろうか」と思うようなことが、現実に起きます。

霊界では、「知っている」ということが力です。知っていると、それを起こすことができるのです。

さらには、現実感のある存在だけではなく、それ以外の存在で、象徴として現れてくるものがあります。直接的に映像や姿が見えるのではなく、一種の象徴として何かが現れてきて、それを解釈しなければいけないということがあるのです。

それは、ファンタジーに近いものであり、論理性はまったくありません。

そのため、同じものを見ても、人によってみているものが違うこともあります。その人の理解度によって、違う世界が見えてくることがあるわけです。

象徴として見えるというのは、どういうことでしょうか。前に、「臨死体験者は、お花畑を見る」という話をしましたが、それも一種の象徴なのです。それはおそらく、美しい世界の象徴でしょう。川の底にも、宝石のようにきれいな石がたくさんありますが、これもいろいろなものの象徴であり、その他のさまざまな景色も象徴なのです。

これは、いわく言いがたいものがありますが、子どもが書いた想像画のようなものだと言ってもよいでしょう。想像でいろいろな絵を描くと、それが現実のものとし現れてくるようなものです。その意味では、魔法使いなどの世界に少し近いかもしれません。


現代医学は脳に重きを置きすぎている

そういう霊界の感覚を知った人が、この世に戻ってきて、他の人が「科学的思考で測れないものは信じられない」などと言っているのを聞くと、頭がクラッとくるような感じがします。

その感じを例えると、どろどろの寒天のようなものが、二十五メートルのプールいっぱいに入っているとして、そのなかに釘が一本落ちているような感じとでも言えばよいでしょうか。そして、その釘で、何かを測るとか、どうにかすると言っているような、そんな感じがするのです。

周りの世界とあまりに違いすぎて、何を言っているのかが理解できないような感じです。

現代医学を見ると、あまりにも脳というものに重きを置きすぎていて、すべての原因を脳に持っていこうとしています。人間の魂の存在も、何もかも、脳の作用にしようとしています。

臨死体験についても、「臨終期に脳内モルヒネが出て、その作用で恍惚感が出るのだ」と言ったりします。

しかし、肉体が焼き場で焼かれたあとでも、お花畑もあれば三途の川もあるので、脳内モルヒネは関係ないのです。


この世での悟りが死後に行く世界を決める

「臨死体験の際に、トンネルを抜けて出ていく」という話をしましたが、これは、死後の世界について、あまり知識や経験がなく、三次元波動に染まって生きている、一般の人の場合です。私の場合は、トンネルを通るということはなく、ストレートに霊界に移動してしまいます。

私はいま、三次元に存在していますが、この存在のなかに、実は、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元の、すべての空間が一緒に同居しているにです。

したがって、「この世で得た悟りの次元と、死後に還るあの世の次元が同じになる」という釈尊の考えは正しいのです。

要するに、心の調整がどの程度できていて、現在ただ今、何次元レベルの悟りを得ているかということが、死後に行く世界にそのままつながっているということです。

そこまで行っていない人は、三次元波動で生きているので、死後、四次元世界へ抜けていくのにけっこう苦労します。物理的に皮や殻を脱いで出ていくような経験をしなければいけません。

また、あの世に行ってからも、この世に垢をたくさん落とさなければいけません。この世でのさまざまな体験や経験を落とし、時間・空間の問題を研究して、「人間というのはこういう存在なのだ」ということを、死んでから体験して初めて、人生の使命と目的が分かるのです。「人生には、そういう目的があったのか」という感じです。

それから、親子兄弟の存在もありがたいものです。

あの世に行くときに、必ず迎えに来てくれるので、やはり肉親というのはよいものです。他人はそう簡単には来てくれません。

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『あの世は論理的でない世界―死後の世界について⑩』

あの世は論理的でない世界―死後の世界について⑩


あの世は論理的でない世界―死後の世界について⑩ 大川隆法総裁


過去の人生がリアルに見える

死んだあとに、フラッシュバックといって、映画のスクリーンにようなものに自分の数十年の人生が一瞬のうちに映しだされたりして、人生を回顧すのです。

フラッシュバックで見る自分の過去世が、この世の目で見る場合と違うのは、第三者の目でその場面が見え、相手の気持ちが伝わってくるということ、さらに、自分のしたことが、その後、どのように影響していったかということまで、追跡して分かってくるということです。

たとえば、人間関係において、仲違いをしたり、くっついたり離れたり、さまざまなことがありますが。その後、相手がどうなっていったかということが分かってしまうのです。

こういうことを、死んでまもないころに、あの世で勉強させられます。それを一通り勉強し終わって、反省が終わらないと、霊界での行き先が決まらないのです。

一つひとつ、人生の場面を見せられて、「あなたは、この場面についてどう思いますか。これは正しかったかですか、正しくなかったですか。この場合はどうすべきでしたか」と、自分の判断を訊かれます。

たとえば、会社の同僚が病気になって入院したときに、花束を持ってお見舞いに行ったけれども、それはかたちだけで、心のなかでは、「これはライバルが一人減った。ざまをみろ」などと思っていたとすると、そういうことまで若ってしまうのです。

このように、死後の世界では、過去の人生が、非常にリアルで、ドラマ性のあるかたちで見えてくるわけです。


過去・現在・未来が同じ空間に存在する

その際に体験することは、前回述べたように、時間の観念がこの世とまったく異なるということです。昔の場面のなかに自分が入り込んだような感じで見えることがあるのですが、「霊界では、過去・現在・未来が、あるようで、ない」というのは、こういうことを言っているわけです。

過去のことであるのに、現在ただいまのように見えるのです。ちょうど、映画のスクリーンのなかに飛び込んだような感じで、その場面を体験することができます。それは、事実上、タイムトリップをして過去の時代に行ったのと同じです。

実は、一部の人には、未来も明かされることがあります。未来のことは、まだ起きていないのに、すでに起きているように見えるのです。「このままでいけば、このようになる」という未来はあるのです。したがって、未来の世界を体験することもできます。

その未来は、「いまの流れでいけば、このようになる」ということなので、「すでに起きている未来なのに、それを変えることもできる」という、不思議な不思議なことがありうるのです。

以前に、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」という映画がありましたが、ちょうどあのようなものです。あの映画のなかでは、「このターニングポイントで、この二人が結婚しないと、未来が変わってしまう」というような話しがありました。そういうターニングポイントでどうなるかによって、墓石の墓碑銘が変わったり、写真の画像が変わったり、いろいろしていましたが、そのように未来が変わるのです。未来はあるのですが、変えることができるわけです。

「このままであればこうなる」という未来があり、その未来はすでに起きていて、その未来を体験することが可能であり、それを変えることもまた可能であるという、まことに不思議な世界です。

したがって、霊界における過去・現在・未来は、地上の時計で計るような時間としては存在していないのです。過去・現在・未来が同じ空間に存在可能なのです。

ただ、過去・現在・未来が同じ空間に存在するといっても、「どちらが先で、どちらがあとか」という順序はあり、親と子が逆になるようなことはありません。そういう「どちらが先か」という順序は分かるのです。

霊界は、そのような世界なのです。


霊界では因果の理法以外に論理的なものはない

科学教育を受けた人は、「科学的に実証できないものは信じられない」とか、「論理的に説明できないものは信じられない」とか、よく言うのですが、あの世へ行ったら、その論理的なものがないのです。霊界は、まったく論理的ではない世界なのです。

論理的ではない世界を論理的に証明するということは、不可能です。それは、前に述べたように、三十センチの物差しで空の広さを測ろうとするようなものであり、測ることはできないのです。

霊界で唯一、論理的なものがあるとすれば、当会でも教えている因果の理法、因・縁・果・報の法則です。何事にも原因があり(因)、それに何かの条件が加わって(縁)、結果が出て(果)、その結果に関して影響が出てきます(報)。こうした因・縁・果・報の順序は、論理的に存在します。「物事には必ず原因があり、何かの条件が加わって、結果が出て、その影響が出る」という因果関係は存在します。

しかし、これ以外には、論理的なものはまったく存在しません。

あえて、この世的に理解可能な説明をするならば、テレビやラジオなどの電波の世界に似ていると言えます。あるいは、どちらかというと、学術書よりも小説の世界、フィクションの世界に近いのです。小説であれば、「何でもあり」で、いろいろなことが可能です。そういう、小説の世界のようなものなのです。

小説は、論理的には書かれていません。登場人物がさまざまに絡みあって、いろいろなドラマが行き当たりばったりに起きてきます。霊界は、それとよく似ているのです。

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一生を映し出す霊界のスクリーン―死後の世界について⑨

人生のフラッシュバック


一生を映し出す霊界のスクリーン―死後の世界について⑨ 大川隆法総裁


フラッシュバックによる人生の回顧

生前に宗教に縁のなかった人は、死んであの世に還ったときに、導きを受けられずに苦労することが多いのです。

そして、死んだときに、フラッシュバックといって、自分の人生の回顧が始まるのですが、これは人によっていろいろなかたちがあります。「照魔の鏡」に映すようなかたちで見る場合もあれば、映画のスクリーンのようなかたちで見る場合もあり、回想のような感じでパッパッパッといろいろな場面が見えてくることもあります。

臨死体験の報告を見ると、不思議なことに、どの人も、「あの世へ行くと時間というものがない」ということを共通して言っています。時間というのは、地球の自転を縁として生じているものなので、あの世には時間の観念がないのです。「あの世に行くと、時間も空間もなくなったような感じになる」と言っていますが、そのとおりなのです。

フラッシュバックで自分の過去を思い出すときにも、数十年の人生を一瞬で思い出すので、「こんなことがありうるのだろうか」と思います。普通に考えれば、数十年の人生を思い出すのに、ダイジェスト版にしても数年分ぐらいはありそうな気がします。それを一瞬のうちに、子供時代からのさまざまな出来事をザーッと全部思い出すのです。

自分がけんかをしたときのことや、何かがうまくいったときのこと、あるいは親兄弟や子供、友達との関係、学校や就職のことなど、よいことも悪いことも全部思い出すということが言われています。


第三者の目で自分の姿が見える

そのときに、人生を自分の視点から見るだけではなく、面白いことに、第三者の立場から見た光景が見えるのです。

たとえば、あなたが子供時代にけんかをしたとします。相手とあなたがけんかしているシーンが、第三者の目で見るように見えるのです。

したがって、これは脳のなかにある記憶ではないということです。では、その情報はどこから来ているかというと、実は守護霊からなのです。

人生の“ビデオテープ”のなかには、自分で見た印象として記録されているものもあれば、守護霊の目で録ったビデオの映像も編集されて入っているのです。そのため、第三者の目で自分の姿が見えるわけです。

それから、フラッシュバックで過去の自分の姿を見ているときに、まるでタイム・マシンにでも乗ったように、その何十年か前の世界にスーッと入って行くことができます。その場にいるのですが、そこにいる登場人物には自分の姿が見えないのです。

そして、過去の自分、子供時代の自分が『ドラえもん』のジャイアンのように相手をいじめているシーンなどが見えてきます。

そのときに、いじめたほうの記憶が自分にあるのは当然ですが、それだけでなく、いじめられている相手のほうの気持ちもサーッと入ってくるのです。いじめられる側はどうであったかということが伝わってくるわけです。

殴られて痛い感じや、悲しい感じ、裏切られた感じ、それから、家へ帰ってからお父さんやお母さんにどう言い訳をしようかと考えている感じ、次の日に学校に行けるかどうかで悩んでいる感じなど、そういう悶々としたり苦しんでいる相手の気持ちが、ザーッと入ってくるのです。

過去の記憶としては、自分がいじめたことは覚えているかもしれませんが、いじめられた側のほうの記憶も全部入ってきて、その場面が客観的かつ公平に分かるようになっているのです。

そのように、人生のいろいろなトピックスのところが、点々と見えてきます。


相手の「その後」を追体験する

また、「人生の途中で、自分は仕事で勝利した。他社を競争で退けて、取引に勝った」という記憶を自分が持っているとします。フラッシュバックでも確かにそういう場面が出てくるのですが、そのときに、敗れたほうの相手が、その後にどうなったかということも、ずーっと見えてきます。

敗れた相手が、肩を落として帰っていく姿や、その後、しばらくしてリストラに遭ったり、左遷されたりする姿、さらには、一年後会社を辞めておでん屋を始めた姿など、そういうところまで見えてきます。

取引のあとのことは、その人とは会っていないので知らないわけですが、「あの人はそんなことになっていたのか」ということが分かります。

「自分は『勝った』と思っていたけれども、その後、この人はこんなことになってしまたのか」ということです。「それが原因で奥さんとけんかをして、こんなけっかになってしまったのか」とか、「それが原因で子供が非行に走ってしまったのか」とか、自分に関係のあったことや、自分がしたことによって、周りの人たちがどうなっていったかということを見せられるわけです。

それを、ビデオを見るような感じで見る人もいれば、青の場面のなかに入っていって、ありありと見る人もいます。しかし、いくら声をかけても相手には聞こえません。「僕はそういうつもりではなかったのだ」とか言うのですが、相手には分からないのです。

臨死体験として報告されているものによれば、武器商人をしていた人が、自分としては武器を売るところまでの記憶しかないのに、その後、その武器がどのように使われ、どのように人が死んでいき、その家族がどのように悲しみ苦しんだかということを見せられ、家族が死体に泣きつく姿や、お葬式をしているところまで、追体験させられたという話もあります。

その人の商売は、武器を売るところまでで終わりなのですが、その後、その武器がどこに命中して、だれが死んだかということまで、霊界の記録には残っているのです。こういうことは、生きているときには分からないのです。

おそらく、広島や長崎に原爆を落とした人たちも、死んだあとは大変だったでしょう。その人たちは、命令によってボタンを押して原爆を落としたのでしょうが、「私は上司の命令どおりにやっただけだ」と言っても、原爆で死んだ人たちの苦しみや悲しみを追体験したら、それは大変な辛さだろうと思います。

霊界では、そのようなことがあります。





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