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無宗教の人はあの世で苦労する―死後の世界について⑧

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無宗教の人はあの世で苦労する―死後の世界について⑧ 大川隆法総裁


キリスト教系の弟子の仕事

三途の川を渡ったあと、その人の属している宗教別にあの世ガイダンスが行われるので、何らかの宗教に属していることが大切なのです。

幸福の科学の講師や信者たちが、もし、そういう仕事をしてくれなければ、私は、あの世に還っても忙しくてしかたがなくなります。

臨死体験の記録を読むと、キリスト教系の人の場合には、イエスが出てきたというようなことがよく書かれています。しかし、イエス本人かどうかは分かりません。クリスチャンの人数から見て、一日当たりに死ぬ人は、おそらく万単位になるでしょうから、その人たち全員にイエスが出ていたら大変なことになります。

したがって、イエスの格好をした弟子筋の人が導きに行っているのは、まず間違いないでしょう。イエスの姿を真似て、髪は少し赤毛が入った金髪にし、体型は少し痩せ気味にして、サンダルを履き、白い福を着て、「これならイエス・キリストに見えるかな」などと言いながら、弟子たちもがんばっているのです。

キリスト教系の光の天使などが亡くなったときには、イエス本人が行くこともsるでしょうが、交通事故などがあるたびにイエスが飛んでいくのでは、忙しすぎます。これでは何も考える暇がなく、肉体労働者のようになってしまいます。

向こうの世界でも、いろいろと勉強することがありますし、ほかにも仕事があるので、大事な人が死んだときなど、一日に何件かは本人が行く場合もあるかもしれませんが、普通は弟子たちが行っているのだと思います。イエスの弟子筋の天使や、天使の予備軍たちが、法衣をまとって行っているに違いないのです。

そのため、キリスト教系の臨死体験者のなかには、イエス・キリストを見たという人が多いのです。自分の肉親などと会ったあとに、イエス・キリストを見たという人や、さらには神を見たという人までいます。まぶしくてよく分からないので、そのように思う場合が多いのでしょう。


知名度と救済力は関係がある

また、キリスト教の二千年の歴史のなかで、いろいろな聖人等、名のある人は何百人もしますが、「私は○○である」と名乗っても、相手が知らないことがあります。そういう場合には、イエスなら有名なので、「自分をイエス・キリストだと思ってくれてもよい」ということで、それらしく振る舞うことも多いのです。

キリスト教には、いろいろな守護天使たちがいますが、名前を名乗って、相手から「知らない」と言われたらがっかりします。そのときにショックが大きいので、イエス本人か、七大天使ぐらいでなければ、なかなか名前を名乗ることはできないようなのです。

その意味で、知名度を上げるというのも大事なことなのです。導きに行って、「そんな人は知らない」と言われると、救いが困難になるので、知名度は救済力とけっこう関係があるのです。

マザー・テレサやシュバイツァーのような有名人でも、知らない人はいます。したがって、「私があのマザー・テレサよ」と名乗って、「知らない」と言われたら、やはり救済力はありませんし、「シュバイツァーなんて知らない」と言われたら、それで終わりです。その場合には、相手が知っている人にバトンタッチするしかありません。

「PRというものは、宗教から始まった」とも言われていますが、PRは大事なことなのです。大川隆法という名前を知ってもらうことも、幸福の科学の名前を知ってもらうことも大事なことなのです。あの世で救済に行って、「幸福の科学って何ですか」と言われると、かなり救済力は落ちます。

したがって、知ってもらうことは非常に大事です。知ってもらい、そして信じてもらうことが大事です。そうすれば、死後の流れが非常にスムーズになります。


宗教に縁のない人は導きを受けられない

たとえ、とりあえずであったとしても、何かの宗教、宗派に縁がないと、少し厳しいのです。

もちろん、お父さんやお母さん、親類縁者が来てくれることが多いのですが、必ず来てくれるとは限りません。自分も修行中であるために、出てこられない人もいるのです。そういう場合には、救いの手が少し遠のいてしまい、苦労することがあるので、やはり何らかの宗教に縁があったほうがよいのです。

自分自身は宗教に縁がなくても、友達や身近な人のなかに信仰を持っている人がいれば、ありがたいことに、それでも縁ができるのです。

信仰心のある人は、友達が死んだときには、死後のことを心配して、一生懸命に弔ったり、冥福を祈ったり、「成仏をするように」と祈ったりします。そうすると、死んだ人は、その信仰心のある友達の守護霊や、その宗教の指導霊段のほうとすながりができ、「あの人の友達だから、導きに行かなければいけない」と手配をしてもらえるのです。そうすると、あの世での行き場所が決まります。

あの世へ行ったときに、全然、案内人がつかないというのは厳しものです。

前に述べたように、臨死体験では、肉体を離れてから、トンネルを抜けて、光の世界に入り、お花畑を通って三途の川に出ます。日本では川の場合が多いのですが、湖の場合もありますし、スイスのほうでは、山の峠を越えることが三途の川を渡る代わりになっていることもあります。そのように、いろいろな場面が出てくるのですが、そのときに何らかの導きが必要なのです。

そのために、数多くの宗教者たちが、この世において真理の伝道をし、この世で伝道しそこねた場合には、あの世へ行ってから、また導きの仕事をしています。そのことを知っていただきたいのです。

あの世では、そうした導きの仕事をするために、非常に多くの人が必要とされています。その実態を見れば見るほど、「人間というのは、一人ひとりが非常に大事にされているのだな」と思います。

地上には六十億人以上の人がいて、毎日、だれかが事故で死んだり、病気で死んだりしますが、そのことがきちんと霊界に伝わっていて、その人の関係者が来てくれるのです。ありがたいことに、友達や親類縁者たちが、みな来てくれますし、さらには、宗教系統のお手伝いの人たちまで来てくれます。

このように、ある人の死を、あの世のみんなが知っているのです。これを見ると、一人ひとりが非常に大事にされていると感じます。

したがって、導きの仕事をする人は、非常に多くの人数が必要なのです。




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死んだ直後に行く世界―死後の世界について⑦

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死んだ直後に行く世界―死後の世界について⑦ 大川隆法総裁

宗教別に行われるあの世のガイダンス

三途の川を渡る前に、家族の声によって引き戻されたり、この世に使命や仕事が残っているために帰されたりする場合があるけれども、三途の川を渡ってしまった場合には、それで終わりです。あの世の人に導かれて、次の世界に入っていくことになります。

そのあたりでの導きの仕事は、多くの場合、宗教関係者が行っています。この世において、たいていの人は、神社の氏子だったり、お寺の檀家だったり。キリスト教の信者だったり、何かの宗教に所属していることが多いでしょうが、そういう意味では、やはりどこかの宗教に所属していたほうがよいのです。

とりあえず、どこかの宗教に分類されていないと、霊界のほうでも、だれがお世話をしに行ったらよいかが分からないので、ある程度、宗派等があるのはよいことなのです。そうでないと、だれがお世話をするのかということがはっきりせず、あの世でもめることになります。

何らかの宗派に属していると、その宗派の関係者がやってきて、責任を持って世話をしてくれるので、あとが非常にスムーズに進むのです。

その人がキリスト教の信者であれば、キリスト教関係の天使の人が来て、導いてくれます。そして、三途の川を渡ったあとの行き先は、当然、教会です。

あの世にも教会があるのです。死んで間もない人たちが行く教会があり、導きの天使、守護天使たちが、そこにみんなを集めてお話をしたり、いろいろと説明をしたり、生前のことを振り返るように教えたり、さまざまなことをします。

個人指導もあります。「それでは、あなたの人生を、もう一回、勉強し直してみよう」と言われて、自分の人生を思い出すということをしたりします。昔の人は、「人生を巻き戻して見る」と言っても、意味不明の場合が多かったのですが、現代にはビデオがあるので、理解がかなり容易になりました。

仏教系の人の場合は、お寺に行くこともあります。あの世にはお寺もありますし、神社もあります。

そのように、各人の属している宗教の施設に集められて、まず、あの世ガイダンスを受けるのです。


非常に美しいあの世の建物

あの世の建物は、この世の建物より非常に美しいものです。

キリスト教系の臨死体験者の報告には、「水晶でできた聖堂のようなものがあった」という話がよく出てきます。

クリスタル(水晶)の聖堂は、この世ではつくれません。あの世にあるものも、実際は、おそらく光の結晶なのだろうと思いますが、そういう水晶でできた聖堂があり、そこへ行ったという報告が幾つも出てきます。キリスト教系では、そのようにしているのでしょう。

キリスト教系が水晶なら、仏教系も負けていられないので、金でお寺の屋根を葺いたり、いろいろなことをして、この世よりも美しいところを見せています。

幸福の科学では、この世において、各地に精舎を建てていますが、いま、あの世でも聖堂を建てています。全国に多数の会員がいるので、毎年、何百人かは亡くなっていくでしょうが、あの世に還ったときに行き場がないと困るので、あの世でも、エル・カンターレ大聖堂を建てています。

入り口の階段は大理石で、建物のなかは、もう少し透明感のある奉製や水晶などでできています。そういう立派なものであり、コンクリート製ではありません。御本尊は、金とダイヤモンドでできており、上部のドームも、透き通っていてなかに光が入ってくるようになっています。そのような、きれいなものを建てています。


幸福の科学の信者が行く所

ただ、霊界も、地方別にそれぞれの霊界があり、三途の川も、その地方ごとのローカルな川をそれぞれ渡っているので、その後、全員を一カ所に集めるのはなかなか大変です。

したがって、ある程度の数の信者がいる地域については、その地域の霊界にも聖堂を建てていかなければ間に合わないだろうと思います。死んだばかりの人が、何百キロも何千キロも移動して集まるのは大変です。死んですぐに、霊界のことがすっと分かる人は大したものですが、普通は右も左も分からないことが多いのです。

したがって、現在、地上に精舎を建てていますが、しばらくすると、霊界にも建つようになります。地上のものよりも美しく、輝いているものが建つ予定です。

そういうものを建てないと、幸福の科学の信者があの世に還って、まずどこへ行けばよいかと考えたときに、「お寺は違うし、ストレートに十字架というわけでもないので教会も違う。神社の鳥居も少し違う」といった戸惑いがあるのです。

当会の信仰が立っている人は、他の宗教のものでは納得しないので、どこかに幸福の科学のROマークを張るなり、「『仏説・正心法語』を読経します」という立て看板を出すなりする必要があるのです。

当会の講師や、熱心に伝道をしている信者たちは、死んであの世に還ると、そういう場所での仕事が始まります。もちろん、最初は、あの世の勉強をしなければいけませんが、一定の勉強をしたあとは、地上を去ってあの世に来る人たち、霊界のことがまったく分からない人たちに対して、霊界のガイダンスを行うという仕事をするのです。

いわゆる「導きの天使」をしたり、あの世の教会や神社仏閣等で、地上から来た人たちを集めて説法をしたり、個人別のコンサルティングを行って、その人の人生のどこに問題があったのかということや、今後の生き方について教えたりする仕事をします。

幸福の科学の信者の大多数は、そういう仕事を実際に経験するでしょう。その仕事をせずに菩薩になるということはありません。菩薩になるためには、それだけの経験を積まなければいけないことになっているのです。


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『臨死体験から生還する人―死後の世界について⑥』

臨死体験から生還する人―死後の世界について

臨死体験から生還する人―死後の世界について⑥ 大川隆法総裁


家族の声で引き戻される場合

臨死体験において、魂が体外離脱をしたのち、トンネルのようなものを通り抜け、導きの天使に導かれながらお花畑を歩いて行くと、やがて三途の川が現れるのです。

なかに、魂が離脱してすぐに、おじいさんやおばあさんが迎えに来るような人もいますが、たいていは、トンネルを抜けて、光の世界に出たあとで、自分より先に亡くなっている近親者と合うことが多いのです。

迎えの人は、たいてい川の向こう側からやってくるわけですが、そのときに、向こう岸にいる場合と、こちら側まで来る場合とがあります。そして、「こちら側へ来い」と招かれると、その気持があまりに安らいでいるので、「もうこのまま向こうへ行きたいな」と思うことがあります。

そのときに、下界のほうで、これは偶然もあるでしょうが、たまたま家族が病院に来ていて、「死なないで、死なないで」と、一生懸命に言っている場合があります。「お父ちゃん、まだ死んじゃだめよ。子供が小さいのよ」などと、一生懸命、しがみついて言っていたりすると、その声が後ろから聞こえてきて、グーッと引き戻されるのです。

しかし、家族が病院に行くのが遅れたりして、タイミングが悪ければ、そのまま逝ってしまうこともあります。

病院でずっと苦しかったり、怪我で苦しかったりしたのに、とても心が安らぎ、暖かく、包み込まれるような、愛に満ちた感じがして、非常に気持がよいので、ほとんどの場合、「ああ、こんなによい世界なら住んでみたい。このまま向こうへ行ったら楽だろうな。もう元の世界に戻りたくない」と思っているのです。

したがって、向こうの世界に招かれているときに、家族が間に合わなければ、そのままスーッと逝ってしまいます。

死ぬ間際に、よく家族や親族などが呼び出されますが、あれは、実は「まだ逝くな」と引き止めに来ているのです。そして、間に合った場合には、逝かずに戻ってくることがあります。


この世に使命や仕事が残っている場合

お通夜の段階でも、この世に帰ってくる人がときどきいます。お通夜の段階では、まだ逝っておらず、霊子線がつながったままでふらふらしているので、「まだこの世に使命がある」ということを強く言われると、戻ってくることがあるのです。

あるいは、川の向こうから来た親族に、「おまえは、まだ来るのは早い」と言われる場合もあります。先に亡くなったお父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、兄弟などから、「おまえが来るのは、まだ少し早いのではないか。もう少しこの世でがんばれ」と言われることがあります。

本人は、安らいでいるので、「あちらへ行きたいな」と思うのですが、亡くなった身内に、「おまえは、この世での仕事がまだ残っているから、来てはいけない」と言われて戻る場合がありますし、「こちらへ来い」と招かれてついいていこうとしたときに、後ろから呼び止められて、振り返ると、この世へ戻っているという場合もあります。

また、ちょうど三途の川を渡りかかっているときに、タイミングよく、荒っぽい医者などが来て、ほおをパシパシッと激しくたたいて、「がんばれ。まだ死んではだめだ。帰ってこい」とやると、戻ってくることがあります。もう少しで逝く寸前のときに、タイミングよくバシバシやられると、戻ってくることもあるのです。

この世に戻ってくると、急に体に激しい苦痛を感じて、「しまった!」という気持ちになります。

そのようなかたちで、あの世へ行かずに帰ってくる人もいます。

この世に帰ってくる人のなかには、あの世の話を伝えるという使命がある場合もあれば、この世での仕事がまだ残っていて、あの世に還る時期ではない場合もあります。

しかし、どうしても生命を維持できず、予定した人生を全うできない場合もあります。事故などで、体の損傷があまり激しい場合には、肉体に戻ろうとしても戻れないことがあるのです。

戦争などで、近くに爆弾が落ちた場合などには、戻ってこようにも体がありません。そういうときには戻れないのです。

したがって、戻れる可能性があるぎりぎりのところで、帰ってかられるかどうかの問題があるのですが、三途の川を渡ってしまった場合には、それで終わりです。あの世の人に導かれて、次の世界に入っていくことになります。


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『三途の川を渡るまで―死後の世界について⑤』

死後の世界について


三途の川を渡るまで―死後の世界について⑤ 大川隆法総裁


体外離脱後のトンネル現象

臨死体験には似たパターンが多く、心臓停止後に魂が体外離脱をし、自分の体の近辺をふわふわと漂っていることが多いのです。

そして、しばらくすると、たいてい「トンネル現象」といわれるものが起きます。視野のどこか一点に、ポツンと黒い点のようなものが見えてきて、「何だろう」と思っていると、それが染みのようにパーッと広がっていきます。黒いトンネルのようなものがグーッと大きくなってきて、「ああ、大きくなってきたな」と思うと、そのなかにスーッと吸い込まれるように入っていくのです。

こういうトンネル現象を経験した人は、数多くいます。このトンネル現象は、体外離脱をしてから霊界に行くまでのあいだにしか経験しないようです。

トンネルに入って行くときに、ゴーッという音や、ブーンという耳障りな音などを聞く人もけっこういます。トンネルに入る前あたりで、そういう音を聞く人が多いようです。なかには、何も音を聞かず、最初から静かだったという人もいます。

トンネルの形は、丸い場合が多いのですが、人によっては四角い場合もあるようです。

そして、トンネルのなかを上がっていきます。普通は、飛ぶような感じで上がっていくのですが、幼い子供の場合は、一生懸命に「はいはい」をしてトンネルを上がることもあるようです。

トンネルを上がっていくときの感覚は様々ですが、報告されている表現形式を見ると、ちょうど宇宙論で言うワームホールのようなものに近い感じです。宇宙論では、「時空間を飛び越すときに、ワームホールという所をスーッと通って行く」ということが言われていますが、それによく似た感じです。

実際に三次元から四次元以降の世界に移行しているわけなので、それは、次元が変わるときの一つの感覚なのだと思います。

実際に、地上のトンネルのようなものがあるわけではないでしょう。各人それぞれ別のトンネルが出てきているので、それは、物理的なトンネルがあるわけではないということを意味しています。一種のワームホールのような、時空間を超える隙間ができてきて、そこを通って出ていくわけです。


守護指導霊の導きと三途の川

トンネルの出口には、たいていの場合、非常に明るい光が見えます。「白い光で、目が開けられないぐらいだった」と言う人もいますし、「太陽の何百倍も明るいのだけれども、あまりまぶしくなかった」と言う人もいて、いろいろですが、白い光、白光を見ることが多いのです。

その段階では、まだ視覚がはっきりしていないので、光のなかにぼんやりとしか見えないのですが、だれかが迎えに来ます。臨死体験者のなかには、「神様が迎えに来た」という人も多いのですが、神様がそんなにたくさんの人の所に行くはずはないので、たいていは、その人の守護霊か、それよりも少し上の指導霊クラスの守護天使たちだろうと思います。そういう導きの天使が必ず来て、あの世へ導いてくれるわけです。

三途の川などが出てくるのは、この先です。特に、日本人の場合は、三途の川を見ることが多いようです。

導きの天使に導かれて、光のなかをしばらく歩いていくと、お花畑が現れます。それは、菜の花畑であったり、コスモス畑であったり、ひな菊畑であったり、いろいろです。地上でも、公園などで、よく花が咲き乱れていますが、そういうお花畑があることが多いのです。

そして、きれいな川が流れています。この川が、生死の境界線であると言われています。川を渡ってしまった場合には、もう帰ってくることが出来なくなるのですが、渡る途中か、あるいは渡る前に引き返した場合には、この世に戻ってくることがよくあります。

この川を渡ったときが霊子線が切れるときなので、川を渡るかどうかは、川の向こうからやってきた人たちとよく相談して決めるのです。



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『死んだ直後の魂の様子―死後の世界について④』

死後の世界について


死んだ直後の魂の様子―死後の世界について④ 大川隆法総裁


数多くの臨死体験の報告

人間は、やがてみな死ぬものであり、死んだときには、霊的な世界のことが明らかになるのです。

医学の世界においては、ここ二、三十年のあいだに、臨死体験というものについていろいろな発表がなされていて、現在では、末期医療も含めて、臨死体験が研究テーマの一つになっています。そのため、臨死体験を真っ向から否定する人は少し減ってきており、「多少はそういうものもあるのかな」と、半信半疑ながらも研究の対象にはなってきています。ただ、まだ宗教とリンクするところまでは行っていません。

医者が研究した結果、「交通事故にあったり、あるいは心臓発作や脳の病気などで倒れたりして、意識を失い、心臓が停止した状態のときに、魂の体外離脱、幽体離脱の経験をする」という報告が、何百、何千、何万と出ています。

臨死体験のケースはいろいろですが、たいていは、心臓停止のあとに、優待が頭のあたりからスポッと抜けていくことが多いようです。そして、病院の緊急治療室などの手術台に寝ている自分を、二、三メートル上の、天上のあたりから見ていることが多いのです。

幽体が抜けだしているあいだは、痛みもなく、非常に安らいだ状態でいるのに、したの方では、医者や看護師、あるいは身内の者などが来て、「死んだ」とか「死んでいない」とか言ったり、手術をしようとしたり、何だかんだと大騒ぎをしているわけです。

手術台の上の自分を見ると、タコ足配線のように体にパイプをたくさん入れられて、非常に見苦しい格好となっています。そのため、「もうやめてくれ」などとよく言ったりするのですが、そこのいる人たちには聞こえません。

そして、三十分か一時間、あるいはそれ以上たってから息を吹き返したときに、自分の見てきた世界について話をするわけです。そういう体験についての報告は、かなりまとまったものが、いろいろなかたちで出ています。


魂の体外離脱のパターン

個人によって臨死体験のケースは違いますが、パターンとしては似たものが多いのです。

たいていの場合は、心臓停止を契機として、魂が離脱する感覚、何かが体外に出ていく感覚を得るようです。

幸福の科学では、脳死の問題について、「心臓が動いているうちはまだ死んでいない」ということを述べていますが、心臓停止と魂の体外離脱には非常に関係があり、心臓停止が「出てもよい」という合図になるのです。心臓が動いているうちは、そう簡単に出ませんが、止まったあとはかなり出やすくなります。

頭のあたりから魂が出ていって、ほとんどの場合、最初は体の近くに浮かんでいます。天上のあたりや、その周辺にいたりします。そして、自分の体をみようとしてあまり近づくと、スポッと体に戻ったりすることもよくあります。

体外離脱の際には、シルバーコード(霊子線)という銀線のようなものが後頭部から出ていて、魂とつながっています。これを見る人もときどきいますが、よほど冷静な人でないと、線がつながっているところまでは見えないことが多いのです。

体外離脱を何度も経験して、よく観察している人のなかには、自分にそうしたコードがつながっていることを知っている人もいます。

さらには、あの世の人が来て、へその緒を切るように、そのコードを切ろうとしているところまで見る人もいて、「切ってはいけない。それを切ったら生き返れなくなるから、切らないでくれ」などと言っていることもあります。そのコードを切られると戻れなくなるということが、何となく分かっているのです。

そのように、病室の上のほうから見ていることが多いわけです。

あるいは、道路等で交通事故に遭い、救急車で搬送されていくようなときは、救急車のちょうど上あたりを漂いながらついていくということもあります。

そういうかたちで、霊子線がまだつながっている段階では、体から完全に離れられないので、ふわふわと近辺を漂っているわけですが、このとき、いろいろな人の話していることや考えていることがとてもよく分かります。

たとえば、病院の隣の部屋で看護師たちがひそひそと話している会話の内容や、医者の考えていることなどが、よく分かります。あるいは、ほかの光景を見てきたりすることもあります。

そのように、まだ、あまり自覚的ではないかたちで、近くをうるうろしていることが多いのです。


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『信じる力で得られる力―死後の世界について③』

信じる力で得られる力―死後の世界について③


信じる力で得られる力―死後の世界について③ 大川隆法総裁


死んだあとに人生の点数が分かる

人生の試験が終わったあとにには、霊的世界のことが分かるようになっています。試験が終わると、人生の総復習が行われて、「あなたの今回の人生はこうでした」ということが明らかにされるのです。それまでの何十年かのあいだは、蓋をされているわけです。

結局、「霊界や仏神がほんとうにあるならば、人間に分かるようになっていなければ不親切だ」と主張する人は、試験問題を配られて、それを解くときに、「答えが印刷されていないではないか」と文句を言っているのとおなじなのです。

あるいは、「試験管がいるくせに、何も教えてくれないのはけしからん。冷たいではないか」とか、「教科書持ち込みにしろ」とか、「答えを教えろ」とか言っているような感じに近いのです。

それに対しては、「そんなことを言われても、一時間あるいは二時間かけて問題を解くのがあなたの仕事であって、試験が終わったあとには採点しますが、いまは答えを申し上げられません」と言っているわけです。

ただ、ときどき、親切な人がいて、ヒントを教えてくれることはあります。

幸福の科学の経典などがあるということが、いわば「辞書持ち込み可」の試験のようなことにあたるかもしれません。「答えは教えられませんが、地所は持ち込んでもけっこうです。自分で辞書を引いて調べることはかまいません」ということです。


人生は一種の試験なので、答えを全部、教えられないのです。ただ、ヒントは、人生の途中でたくさん与えられるようになっていて、さまざまな気づきの機会が用意されています。

「いろいろな可能性があるなかで、あなたは何をつかみ取りますか。今世の自分の考え、思想として、人生の結論として、何をつかみ取りますか。死んだときに、それが満点であるか、合格点であるか、落第点であるかが分かるようになっています」ということです。

その段階で、この世での成功や失敗、「偉い」「偉くない」などの、この世的な価値観がひっくり返るようなことが、たくさん起きるのです。


信じることは大きな力となる

地上において、霊界の存在に疑問を持ったり、宗教に対して不信感を持ったり、宗教を迫害したりする人がいくらいても、霊界側が泰然自若としているのは、人間はやがてみな死ぬからです。

「信じられない」と言って騒いでいても、ほんの数年か数十年だけのことであり、死んだときに、すべてが明らかになるのです。人間はやがて必ず死ぬので、最後は問答無用で霊的世界を体験しなければいけなくなります。

したがって、「試験問題が難しくて解けない」と言われても、霊界側は、「試験終了のチャイムが鳴るまではしかたがない」と思って見ているのです。

地上の人のなかには、問題をすらすら解いている人を見て、「おまえは、けしからん」とか、「ずるをしているのではないか」とか、いろいろ言うような人もいます。しかし、その問題は、各人が自分で解かなければいけないことになっているのです。

そういうことを理解できるかできないか、信じられるか信じられないかということは、リトマス試験紙の検査のように、あなたがどういう人間であるかということを示しているのです。

あの世の世界を知るということは、一つの大きな力ですが、知るだけでなく、信じることができたならば、それはもっと大きな力になります。

信じるという行為は、外国へ行くために、船に乗ったり、飛行機に乗ったりすることに当たります。リスクがありますが、それによって大きな旅ができるのです。未知なる大陸や、未知なる世界に旅をし、新しい世界観を獲得することができるのです。

信じることができない場合には、自分の歩ける範囲以外の世界を見たり、体験することはできなくなります。



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『人生は一種の試験―死後の世界について②』

人生は一種の試験―死後の世界について②


人生は一種の試験―死後の世界について② 大川隆法総裁


どこまでも疑う人は説得が難しい


初めて船に乗る人は、「この船に乗れば、オーストラリアに着きますよ」と言われても、なかなか信じられないかもしれません。写真でオーストラリアの景色をいろいろと見せられたり、地図を見せられたりして、「船の速度は何ノットだから、これだけの時間があれば着きます」といくら言われても、初めて船に乗る場合は、「ほんんとうに着くのかな」と感じるでしょう。

ほんの数百年前までの世界観というのは、「世界の果ては絶壁になっていて、ナイアガラの滝のように海水が下に落ちており、あとは何もない」というようなものでした。そういう世界観を持っている人は、「船に乗っていけば、ほんとうに着くのだろうか」と思うでしょう。

「飛行機に乗って、何時間か飛べば着きますよ」と言っても、初めて飛行機に乗る人にとっては、そのような金属の乗り物に乗って飛んでいくというのは、ほとんど信仰の世界でしょう。

飛行機が飛ぶことを信じられない人は、「そもそも金属が飛ぶのか」という疑問から始まって、「実際に飛んでいるではないか」と言っても、「いや、あれは金属ではないかもしれない」と言い、「飛んでいる姿がテレビに映っているではないか」と言っても、「あれは作り物かもしれない」と言い、「実際に飛行機で海外に行って帰ってきた人がいるではないか」と言っても、「それはうそかもしれない」と言います。

そのようにどこまでも疑ってかかると、飛行機に乗って海外に行けるということは、「うそかもしれない」という感じがするでしょう。

実際に、まだ飛行機に乗ったことのない人は、「飛行機にのるのは怖い。あんなものが空を飛ぶとはどうしても信じられない」とよく言います。

そのように、「私は歩いていける所以外は信じられない」という人に対しては、「では、海を歩いて渡るかといっても、海の上は歩けないし、困ったな」とそこで話しが途切れてしまうのです。

「物差しで測れないものは信じない」とか、「この足で歩ける所以外は信じられない」とか言うことが、科学的な態度や実証的な研究態度であると思っている人、要するに、「何度もくり返しできるものでなければ、真実とは思えない」とか、「万人がやって同じ結果が出るものでなければ、信じられない」とか言っているたちの考えは、ちょうどそんな感じなのです。

そういう人は、説得されないことに喜びを感じているようなところがあるので、彼らを説得するのはかなり難しいでしょう。


現代人が宗教を理解出来ない理由

死後の生命があるということ自体がなかなか信じられない人や、そういうものを信じないことを扇動している人達から見れば、宗教の世界というのは、おそらく遠い昔話のように見えるでしょう。『日本霊異記』のようなおどろおどろしい世界、平安時代の怨霊の世界、あるいは、縄文時代や弥生時代のような古い時代の人間の思想のように、たぶん見えるのでしょう。

宗教の祖師たちも、そうした古い時代、だいたい縄文時代から弥生時代のころの人が多いので、その程度に見えるのだろうと思います。火をおこしたり土器を作ったりできる科学技術と同じぐらいのレベルのものとして、宗教の祖師たちの霊界観をとらえているのだろうと思います。そのため、「現代人から見ると、なかなか理解しがたいものだ」というように考えているのでしょう。

そういう人が、どちらかといえば多数であると思いますが、その理由は、宗教について、学校教育で、一切触れられていないということにあります。学校教育では、中学までの義務教育でも触れませんし、高校でも大学でもまったくと言ってよいほど触れません。

大学の一部では触れることもありますが、宗教学などの場合は、むしろ信じない方向へといくことが多く、「研究の対象とする以上は、信仰は立てずに、できるだけ論理的、客観的にやろう。感情を交えずに、分析的にやろう」という雰囲気が強いのです。そのようにフィールドワークふうにやろうとしていて、あまり熱心にやると信仰心がなくなっていくような研究の仕方をしています。

インド哲学なども、ほとんど唯物論になりかかってしまい、現代の哲学と、いい勝負になっているので、ほんとうに情けない限りです。

超能力信仰のようなことをしている所も一部にありますが、「そんな所を出ても就職先がない」というような、非常にマイナーな所です。そういう所でしか教えてもらえないのが実情です。


この世は人生は試験でもある

死後の世界について、「知らない」とか、「信じられない」とか言う人の考えは、「もし、ほんとうにそのような世界があり、仏や神がいるのならば、この世の人間に分かるようにしてくれなければ不親切ではないか。人間に分かるような形になってない以上、そういうものは存在しないのだ」ということなのでしょう。「もし、そういう存在があるなら、もっと人間に分かるようにするはずであり、実験してて確かめることもできないようなものは、信じるに値しない」ということだと思うのです。

しかし、この世の世界そのものが、数十年の人生そのものが、ある意味で一種の試験だからです。

人間は、本来の世界である霊的世界から生まれてきて、肉体に宿って物質世界の中で生きていますが、「この物質世界のなかで生きながら、どれだけ霊的な人生観を手に入れることができるか。かつて仏神から学んだ教えをどれだけ実体験し、実践できるか」ということを、ある意味で試されているのです。

人間は、人生においてさまざまな経験をつんでいきますが、それは試験でもあるのです。




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『あの世が信じられない人へ―死後の世界について①』

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あの世が信じられない人へ―「死後の世界について」① 大川隆法総裁

死後の世界についての世間一般の考え方

「死後の世界について」という題でのお話です。

幸福の科学も、宗教団体として大きくなってきているので、私は、死後の世界の存在を前提として説法をしてきました。しかし、世間一般の人たちのなかには、それが当然とはなっていない人がまだまだ数多くいます。

したがって、「死後の世界はほんとうにあるのだろうか。疑問だ。信じられない」という人たちや、あるいは真理の入り口あたりにいる人たちに分かるような話を、ときどきはしなければいけないと感じています。

アンケート調査などで、「宗教心はありますか」というような質問をすると、半分以上の人が「ある」と答えます。ただ、質問の仕方が肯定的であるか否定的であるかによって、答えが少し違ってきます。「あの世があると思いますか」という質問でも、訊き方によっては、「あると思う」と答える人が五割ぐらいになったり、二、三割になったりします。

また、「信仰心はありますか」という訊き方をすると、「はい」という答えのパーセンテージが下がりますが、「お墓参りなどをしたいですか」というような訊き方をすると、急にパーセンテージがあがったりします。

そういう関係で、少し漠然としていて、あまりはっきりとは分からないのですが、おそらく、本能的に信じている部分と、頭で学んだ知識では理解できない部分とがあって、気持ちの整理が充分にできていないのではないかと思います。

日本に比べると信仰者が多いと言われているキリスト教国でも、それは同じです。95パーセントぐらいの人は、どこかの教会に登録していて、信仰のかたちはあるのですが、本当に熱心な人は5パーセントぐらいしかいません。何らかのかたちで、天国や地獄、あの世があるらしいと思っているのは、6、7割というところでしょう。


霊的世界を物差しで測れるか

日本では、特に戦後教育の影響によって、表面的に質問した範囲では、死後の世界を否定的な回答をする人が多いようです。

これは、戦後科学教育の問題であるかもしれません。しかし、科学は、主としてこの二百年ぐらいに発達したものであり、宗教は、現代に残っているだけでも数千年以上の歴史があります。科学が発達する以前のものを、あとから出たもので測るのは、なかなか難しいものがあるのです。

したがって、科学者や唯物論者など、死後の世界、霊界の話を信じない科学的思考の人と話をすると、ちょうど、三十センチの物差しのようなものを持っていて、「この物差しで測れるものでなければ信じない」と言っているような感じがするのです。

たとえば、大空の広さを物差しで測れるでしょうか。厳密に言えば測れるのかもしれませんが、測れるようでもあり、測れないようでもあり、「ちょっと無理かな」という虚しい感じがします。

あるいは、地球の外周を物差しで測れるかというと、原理的には可能でしょうが、そんなことをする人はいません。やはり無理があります。

科学的思考の立場から「死後の世界は信じられない」という人は、ちょうどそんな感じであり、何とも名状しがたい虚しさがあります。

あるいは、「いつも陸地を歩いているから、海の上も、歩いていけなければ信じられない」と言っている感じに近いでしょうか。

たとえば、「日本から、海を南に下って行くと、オーストラリアという大陸があります」と言ったら、「海を歩いてわたっていけなければ、信じられない」と言われるような感じに近いのです。『聖書』には、イエス・キリストが湖の上を歩いたという記述がありますが、いくらイエス様であっても、日本からオーストラリアまで歩いてはいかないでしょう。オーストラリアまで行くのであれば、「歩いて行くなどと言わずに、船か飛行機に乗ってください」とやはり言いたくなります。

船に乗って海の上を行く行為、飛行機に乗って空を飛んでいく行為に当たるものが、実は信仰といわれるものなのです。


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『人間の偉大さ』

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人間の偉大さ


人間の偉大さは、

その心の広さであり、

その志の高さにあります。

そして、そのためにこそ、

さまざまな

人生経験があるのです。

あなたがたが、この地上で

目標とすべき生き方は、

いかに仏の側近き人間に

なるかということなのです。

それ以外のゴールはないのです。


大川隆法総裁著『黄金の法』より



黄金の法―エル・カンターレの歴史観


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『黄金の一日』

黄金の一日


黄金の一日


過去は、

反省の材料としてあるだけです。

未来は、未知数です。

すなわち、

あなたがたの

手のなかにあるのは、

現在だけであり、

誰もが平等に、「一日」という、

自分の「現在」と

直面しているのです。


大川隆法総裁著『黄金の法』より



黄金の法―エル・カンターレの歴史観


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『心の創造性』

『心の創造性』


心の創造性


どのような心を持つかによって、

自分自身が変わり、

その変わった自分は、

一種の磁石のような作用を持ち、

一つの創造性を持ちます。

その創造性は、

自分自身の現在および、

未来を変えていき、

さらに、他の人の未来をも

変えうる力を持ちます。


大川隆法総裁著『大悟の法』より


大悟の法
大悟の法―常に仏陀と共に歩め


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『こころを支配せよ』

『こころを支配せよ』


こころを支配せよ


すべては心より生じ、

幸福も不幸も

心より生まれてきます。

「心に支配されることなく、

こころを支配せよ。

心を主とすることなく、

心の主となるべし」、

これが大事なのです。


大川隆法総裁著『大悟の法』より


大悟の法
大悟の法―常に仏陀と共に歩め



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『宗教の世界は永遠の世界、不滅の世界』




宗教の世界は永遠の世界、不滅の世界


宗教の世界は

永遠の世界、

不滅の世界であり、

そこには

不滅の真理があります。

そのなかには、やはり、

「不合理なれど、我、信ず。

不合理なればこそ、我、信ず」

というところがあるのです。


大川隆法総裁著『大悟の法』より


大悟の法
大悟の法―常に仏陀と共に歩め



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『「あの世がある」と考えたほうが幸福になれる』

「あの世がある」と考えたほうが幸福になれる


「あの世がある」と考えたほうが幸福になれる


「死ねば何もかもなくなってしまう」と考えるか、

「死後も人格は残る。

一生懸命に努力していれば、

死後も素晴らしい活躍が続けられる」

と考えるか――。

あなたはどちらに賭けますか。

どちらに賭けたほうが、

あなたは幸福になれると思いますか。


大川隆法総裁著『「幸福になれない」症候群』より


「幸福になれない」症候群―グッドバイネクラ人生
「幸福になれない」症候群―グッドバイネクラ人生


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『理解したということは愛したということと同義』

夢の意味


理解したということは愛したということと同義


愛に関しては、

基本的には、

人を理解できるか

どうかが大事です。

「理解した」ということは、

「愛した」ということと、

ほぼ同義なのです。


大川隆法総裁著『幸福へのヒント』より


幸福へのヒント―光り輝く家庭をつくるには
幸福へのヒント―光り輝く家庭をつくるには

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『心は電磁石のようなもの』

こころの波紋

心は電磁石のようなもの

心は、はっきり言えば、

電磁石のようなものです。

みなさんは、

その心から出ている波長、

調べによって、

霊界のいろいろなものと交流し、

互いに影響を与えています。

そういう関係にあるのです。


大川隆法総裁著『神秘の法』より


神秘の法―次元の壁を超えて
神秘の法―次元の壁を超えて

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『夢はあの世に還る練習』

夢はあの世の還る練習


夢はあの世に還る練習


人間は、生きているうちから、

夢のでときどき霊界へ行き、

あの世の還る練習をしています。

それで、

一日に八時間程度の睡眠を取るのです。

生きているうちから練習をしておかないと、

死んだときに、

あの世への移行が難しくなるので、

必ず、そういうことをしています。

自覚的なものではありませんが、

そのようにして、

体から抜ける練習をしているのです。


大川隆法総裁著『繁栄の法』より


繁栄の法―未来をつくる新パラダイム
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『夢は危険性の少ない霊界体験』

夢で霊界体験


夢は危険性の少ない霊界体験


地上に生きている人の場合は、

霊界に行っても、

ひもつきで動いているため、

霊界の比較的浅いところまでしか行けません。

四次元の精霊界か地獄界にあたりを

散歩していることが多いのです。

この世に生きたままで

霊界のかなり上の方まで行けるのは、

よほど修行が進んでいる人だけです。

しかし、まれに、

一定の使命がある人に霊体験をさせるために、

指導霊がその人を上の世界まで

連れて行くこともあります。

みなさんも、「睡眠中に霊界に行けるのだ」

ということを意識して、

見た夢の内容を覚えておくようにすると、

霊能者でなくても霊界体験が積めます。

しかも、これは

非常に危険性の少ない方法なのです。


大川隆法総裁著『繁栄の法』より


繁栄の法―未来をつくる新パラダイム
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『悪夢の意味』

夢の意味


悪夢の意味


何かに追いかけられる夢、

マシンガンで撃たれながら

逃げ回っているような夢を見て、

「自分はきのう、よほど悪いことをしたのかな」

と反省してみても、

まったく身に覚えがない場合は、

霊界の地獄界を見に行ったと

考えてよいでしょう。

これは、

「お前が死後に来る世界はここだぞ。

おまえが死ぬのを待っているぞ。

おまえが死んだら、

こうやって追い回してやるからな」と、

あの世の人たちが

警告してくれているのです。

あまりにも怖い夢、

非常に生々しい夢、

くり返し見る夢の場合は、

その間、

霊界に還っている可能性が高いと言えます。

また、一ヶ月前や一週間前に

見た夢の続きを見たり、

夢の途中で目を覚ましてまた寝ると、

その続きを見たりする場合も、

その夢はほとんどが霊界で

現実に体験していることなのです。


大川隆法総裁著『繁栄の法』より


繁栄の法―未来をつくる新パラダイム
繁栄の法―未来をつくる新パラダイム

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『聖なるものを感じる』

聖なるものを感じる


聖なるものを感じる


私たちが幸福を感じるときに、

静かなるときがあります。

静かなるときに、

なぜそういうものを感じるのでしょうか。

それは、この世ならざる聖なるものを

感じることがあるからだと思うのです。

静かなるときに、

私たちの心は解き放たれ、

まったくの束縛を離れているがゆえに、

大いなるものを感じやすいのだと思います。


そうして神秘を感じるということが、

人間に許された幸福となっていくわけです。


大川隆法総裁著『人生の王道を語る』より


人生の王道を語る―いざ、黎明の時代へ
人生の王道を語る―いざ、黎明の時代へ

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『魂と肉体を結ぶ霊子線』

魂と肉体を結ぶ霊子線


魂と肉体を結ぶ霊子線


肉体の中には、肉体とほぼ同じ形をした、

魂というものが入っています。

魂は、ぴったり肉体に入ったままかというと、

そうでもなく、夜の睡眠時には、

ときどき肉体から離れています。

霊視線は、昔の言葉では「魂の緒」といい、

英語では「シルバーコード」(銀線)といいます。

それは、実際に銀色に見えますが、

光り方によっては、

少しオレンジがかった銀色に

見えることもあります。

そういう線が魂と肉体を

頭の部分でつないでいるのです。

普通は、寝ているときに

魂がスッと抜けるのです。

魂の緒、

シルバーコードがつながったままで、

大勢の人が、

睡眠中に肉体を離れて、

あの世に行っているわけです。

「霊子線が絡まってしまい、

自分の肉体に戻れないのではないか」

と思う人もいるかもしれませんが、

不思議なことに、

霊子線はもつれないのです。



霊界散歩―めくるめく新世界へ
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『夢と霊界』

夢と霊界


夢と霊界


夢のなかでは、ときどき、

この世の出来事ではなく、

空をとぶ夢、

怖いものに追いかけられる夢など、

この世とは違った異質な世界の出来事を

天然色で見ることがあります。

そういう場合、

魂は、たいてい霊界に行っているのです。


大川隆法総裁著「霊界散歩』より


霊界散歩―めくるめく新世界へ
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『この世とあの世を旅する』

この世とあの世を旅する


この世とあの世を旅する


本来の世界は、

あの世の世界であり、

この世には、

海外旅行のように、

一時期、来ているだけなのだ。

赤ちゃんとして生まれて、

人生修行をし、

いろいろな人と出会い、

さまざまな経験をしながら、

新しい人生を築き、

新しい個性を見につけて、

あの世に還る。

そういう修行をするために、

この世に来ているのだということです。


大川隆法総裁著『霊界散歩』より


霊界散歩―めくるめく新世界へ
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『The Meaning of Life(人生の意味)』

The Meaning of Life(人生の意味)


The Meaning of Life(人生の意味)


People who live selfless love,

day by day and year by year,

lead to the sacred people and angels.

毎日毎日、毎年毎年、無我なる愛について

考えながら生きている人は、

聖なる人々、天使へと導かれていきます。



他者へ幸福を与える、聖なる愛


「愛」とは、聖なる愛のことです。

聖なる愛は、他の人から奪おうとしません。

与え切りの愛です。

他人から何かを得ようとするのは、執着ということになります。

この、二つの愛を分けてください。

これはとても難しいことですが、とても大事なことです。


「他人を愛するのは、普通のこと、本来の仕事だ」と思ってください。

それが、この世に生まれてきた本来の目的なのです。

地上を照らし、他の人々の心をあたたかくし、幸福にしていくこと、

そして、彼らに光を与えることが、

天上界から来た天使や天使の予備軍たちの共通目的です。

これより後、あなたの心を、その方向に変えてください。



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『宗教の公的使命』

宗教の公的使命


宗教の公的使命 2010/12/23 埼玉・川口支部


あの世に天上界と地獄界があり、

地獄に行かないようにすることは、

非常に公的な仕事なのです。


愛の活動をするからこその強さ

宗教の公的使命にどの程度目覚め、

感じ取ることができるかが重要です。

宗教の活動は、本来、正しい活動で、

人々を啓蒙する活動ならば、

国や公共団体が積極的に応援しなければいけないものです。

犯罪を抑止し、道徳的にも正しい方向に導くのなら、

それは公的な仕事なのです。


学校の教育も、一般的な公務ですが、

宗教の教育は、人間の魂そのものの啓発、

あるいは、神仏のほうへ引っ張っていくという仕事をしている、

公務中の公務です。

ですから、自信を持って伝道しなければいけないし、

微塵も引け目を感じたり、

後ろめたさを感じたりしてはならないと思います。


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管理人:オーパ
『幸福の科学』の信仰の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたい。この世が、限りなくユートピア世界になってほしい。心から願っています。(このブログは個人ブログ、幸福の科学非公式サイトです。)








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