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『死は永遠の別れではない』

仏法真理の太陽が昇る


死は永遠の別れではない


死んであの世に還ると、

先に亡くなった懐かしい先祖や

親しい人と涙の再会をします。

あの世で出迎えてくれる人たちは、

「よく頑張ったね」と、

数十年の人生を終えたあなたを、

労ってくれるでしょう。


また、大切な人が死後苦しんでいるのではないかと、

心配する方も多いでしょうが、

たとえ事故や病気で亡くなっても、

あの世に還れば、体は元に戻り、

元気な姿で生活しています。


死は終わりではなく、

愛する人との永遠の別れでもありません。

この真実を知ることで、

死の意味は、

全く違うものとなっていくでしょう。


大川隆法総裁著『永遠の生命の世界』より

永遠の生命の世界―人間は死んだらどうなるのか
永遠の生命の世界―人は死んだらどうなるか



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『死は「この世」の卒業式』

無限の愛と慈悲


死は「この世」の卒業式 


人は死ぬと、肉体という衣を脱ぎ捨てて、

魂はあの世へと旅立ちます。

この世は、たとえてみれば、

小学校のようなもの。

死は小学校の卒業式です。

そして、死後は、

あの世の中学校で、

さらに高度な人生勉強を続けるのです。


ですから、死とは、

すべての終わりなのではなく、

一通過点であり、

新たな人生への門出のときなのです。


大川隆法総裁著『霊界散歩』より


霊界散歩―めくるめく新世界へ
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『どんな人が地獄に堕ちるのか?』




“どんな人が地獄に堕ちるのか?”


どんな人が危ないのかというと、実は、「心の三毒」を持っている人が“危ない”のです。

地獄に堕ちる原因のほとんどは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」という心の三毒です。


1. 「貪」とは、貪欲・貪りの心です。

当会の言葉で言えば、“奪う愛”に生きた人です。

この奪う愛、貪りの心で生きた人は、ほとんど地獄に行くわけです。

この「貪」の特徴は、“自分ではよく分からない”ということです。

しかし、他人から見ればよく分かるわけです。

「あの人は、欲が深い人だね。強欲な人だね。人の気持ちが全然分からない人だね」

「いつも、取っていくことばかりする。いつも奪うことばかり考えている」

というのは、本人は知らないことが結構多いのですが、他人が見れば、

十人中、八、九人は「その通り」というのです。

自分を正しく見ることは、それほど難しいことなのです。

この欲の深さを無くすには、やはり、「足ることを知る心」が非常に大事です。


2.「瞋」とは、怒りの心です。

カーッと来る心というものがありますが、これなどは、たいていの場合、不平不満なのです。

自分の思い通りにならない不平不満からカーッと来るのです。

亡くなったおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんのことを思い出してみて、

「あの人は短気な人だったね。よくカーッと怒っては周りに当たり散らしていたね」

ということがあれば、それが原因で地獄に行っていることが多いのです。


3.「癡」とは、愚かさのことです。

この愚かさは、必ずしも「頭が悪い」という意味ではないのです。

この世的には、頭が良くても、この癡(ち)になる人は数多くいます。

これは要するに、「仏法真理を知らない」ということなのです。

仏法真理を知らない人は愚かに見えるのです。

仏法真理を知っている人から見たら、全く別方向のこと、無駄な努力をしていて、

自分の首を締めるようなことを一生懸命にやっているのですが、

この世的には頭の良い人であることが、結構多いのです。

地獄領域を拡大するような、全く正反対の仕事をしている人いるのです。

そういう愚かさがあります。

生きているうちに仏法真理を知っていれば、地獄になど落ちないのです。

ところが、それを知らないがために地獄に落ちるのです。


大川隆法総裁『霊的世界のほんとうの話。』より

霊的世界のほんとうの話。―スピリチュアル幸福生活
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死んでから困らない生き方―スピリチュアル・ライフのすすめ
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『死の下の平等』





死の下の平等


死後の世界について、

知らない、信じられない、という人がいます


その人たちの言い分としては

本当に、死後の世界があり、仏神という存在がいるのならば

それを、この世の人間にわかるようにしていなければ不親切である


そういう偉大なる存在があるのならば

もっと人間にわかるようにしているはずである

という考えを持っているということです。


まずは、その前提条件をクリアしなければなりません。


たしかに

この三次元世界の法則では死後の世界について

どんな人間にも分かるようなかたちにはなっていません

ゆえに、死後の世界は存在しない



科学の実験のように、死後の世界について

確かめることもできない

ゆえに、死後の世界は信じるに値しない。


と安直に答えを導きだすことは

まことに愚かなことだと言わざるを得ません。


死後の世界について

誰もが分かるようになっていないことには、

明確な理由があるのです。


その理由を知っておくことは、とても重要です


理由としては、

『この世の世界そのもの、数十年の人生そのものが

ある意味で、一種の試験である』ということなのです。


人間は、本来の世界である霊的世界から生まれてきて

肉体に宿り、物質世界のなかで生きていきます

そして

「この不自由な物質世界のなかで生きながら

どれだけ、霊的な人生観を手に入れることができるか

かつて仏神から学んだ教えを、どれだけ、実体験し

実践できるか」ということを試されているのです。


人間は、人生において、様々な経験を積んでいきますが、

それは試験でもあるのです。


その試験が終わったとき(人生が終わったとき)には

誰しも例外なく、霊的世界のことが分かるようになっています。


試験が終わると、人生の総復習が行われて

「あなたの今回の人生は、こうでした」ということが

必ず明らかにされます。


それまでの何十年かのあいだは蓋をされているのです。


「本当に、死後の世界があり、仏神という存在がいるのならば

それを、この世の人間にわかるようにしていなければ

不親切である」と主張することは言い換えれば、

試験問題を配られて、問題を解くときに

「答えが印刷されていないではないか」と言ったり

「試験監督が何も教えてくれないのは、けしからん」と文句を

言うことと全く同じ意味合いなのです。


人生という与えられた時間の中で

誰しもが、自力で問題を解いていくのが課題であり

仕事なのです。


人生は一種の試験なので

答えを全部教えるわけにはいかないのです。


しかし、ヒントは

人生の途中でたくさん与えられるようになっています。

そのヒントを見つけられるか、または活かせるかは

その人自身のアンテナ能力に左右されます。


幸福の科学の経典などがある(存在している)ということは

いわば「辞書持ち込み可」に相当するのです。

「答えは教えられませんが、辞書は持ち込んでも結構です。

自分で辞書を引いて調べるぐらいは、構いません」ということです。


理解できるか、理解できないか

信じられるか、信じられないか

ということは、リトマス試験紙の検査のように

「あなたは、どういう人間であるか」ということを

示しています。


「あの世の世界を知る」ということは

ひとつの大きな力ですが

知るだけでなく、信じることができたならば、それはもっと大きな力になります。


「信じる」という行為は、外国へ行くために船に乗ったり、飛行機に乗ったりすることに当たります。

リスクはありますが、それによって大きな旅ができます。


未知なる大陸、未知なる世界に旅をし、新しい世界観を獲得することができるのです。

信じるということができない場合には、自分の歩ける範囲以外の世界を見たり、体験したりすることはできなくなります。 


どんな人間にも必ず死は訪れます。

死の下においては、いかなる人間も平等なのです。

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『あの世が見えない理由』




あの世が見えない理由

死後の世界は、そう簡単に信じてもらえるものではありあせんし、仕組みとして、完全には証明ができないように創られていることも事実です。

もし、あの世の世界が目に見えたならば、誰もが「あの世を信じる」と言うでしょうが、「あの世の世界が、この世の世界と共存していて、生きている人間と同じように、この世を霊がたくさん歩いている」というようなかたちで、この世の人と霊が一緒に生活できるかというと、なかなかできないだろうと思います。

例えば、「あの世の霊が話しかけてくる。何か疑問を持ったら、すぐ、あの世の霊から答えが返ってくる。あの世の霊が、『ああしろ、こうしろ』と言う」という世界だと、けっこう大変でしょう。

私は、実際に、そういう世界を生きているのですが、これで普通でいられるというのは大変なことなのです。

通常は普通でいられません。

「変なことを言う」ということで、たいていの場合は隔離されてしまいます。

そういう世界を見ながら普通に生きるには大変な力が要ります。

そうとう研ぎ澄まされた理性・知性を持っていないと、通常は、おかしくなるのです。

毎日毎日、霊体験が重なってくると、どうしても行動も考えもおかしくなってきます。

これに耐えられる人は、やはり少ないのです。


霊的な世界が開かれた場合、よいものに導かれればよいのですが、そうでないものも入ってきやすいわけです。

悪例などが、いろいろ取り憑いてきたりして、声が聞こえ始めると、事実上、人間としての生存が不可能になり、ほとんど人生は終わりになります。

「霊の世界が見えたり、感知できたりしながら、それでも、あえて仕事ができる」というのは、映画「ゴーストバスターズ」の世界でしょう。

“幽霊捕獲人”として幽霊を追いかけ回している人であれば、それが商売なので、そのとおりでしょう。

それから、もちろん、職業的霊能者は、それで仕事をしているわけです。


しかし、普通の人の場合は、「霊の世界が、確かな実感として完全に証明できる」というところまで行ってしまうと、生活ができなくなります。

例えば、みなさんの死んだ祖父や祖母、父や母が、みなさんの部屋で、いつも、みなさんを見ていたり、夜、寝ているときに来たりするような状態では、みなさんは生活できないでしょう。

やはり、霊の声が聞こえず、霊の姿が見えないほうがよいのです。


大川隆法総裁著『霊的世界のほんとうの話。』より

霊的世界のほんとうの話。―スピリチュアル幸福生活
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『死を恐れるあなたに―あの世を信じたほうが、幸福になれる』

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あの世を信じたほうが、幸福になれる

みなさんは、「あの世があると考えた場合と、あの世はないと考えた場合と、どちらが、自分にとって幸福か」ということを考えたことがありますか。

仮に、あなたが、今、四十歳で、平均寿命まで、あと四十年あるとしましょう。

もし、「これから四十年間いろいろなことをして、八十歳で死ぬと、火葬場で焼かれて、ひとにぎりの骨と二酸化炭素だけになり、自分が生きた証拠は何もなくなってしまう」と考えるならば、これが、そうれほど幸福な考え方でしょうか。

やはり、「特定の名前を持って行きた人間の魂が、そのエネルギーが永遠に生き続ける」と考えるほうが幸福ではないでしょうか。


人間は死ねば何もかも終わりになるならば、この世の道徳も哲学も宗教も、すべて不毛なものとなってしまうでしょう。

あなたは、何のために、己の人格を磨いたのでしょうか。何のために、勉強し、汗を流して働き、努力して良好な人間関係をつくったのでしょうか。何のために、一生懸命に生きてきたのでしょうか。

死によって何もかもなくなってしまうのならば、人生は、まったく虚しいものにすぎないではありませんか。人格を磨くことなど意味がなく、努力して一生懸命に勉強し、人格の向上など目指す必要などありません。そうしたことを勧めるのは、ペテン師のささやきになってしまいます。

人格の向上を目指すことが、地位や収入など、この世的な幸福を得ることにつながるとしても、死ぬとすべてが終わりになるならば、そのような幸福は虚しいものとなります。

どちらの幸福が、ほんとうの幸福につながるのでしょうか。


「この世で努力して身につけたものは、死後の世界に持っていくことができる。死後の世界においても自分の人格が生き続ける」と思えばこそ、努力することに意味があり、その努力が素晴らしく思えるのではないでしょうか。

「死ねば何もかもなくなってしまう」と考えるか、「死後も人格は残る。一生懸命に努力していれば、死後も、素晴らしい活躍が続けられる」と考えるか。

あなたは、どちらに賭けますか、どちらに賭けたほうが、あなたは幸福になれると思いますか。

死後の世界あることについて、私は、はっきりとした証拠を持っています。

死後の世界があることに賭けたほうが、あなたにとって幸福な人生になることは間違いありません。

自分にとって、どちらの考え方に幸福があるかをよく考え、受け入れるものは受け入れ、霊性に知識的な学びを行っていくことが大事だと思います。


ほんとうの世界を知り、「どのような生き方をすれば、どのような世界に行くのか」ということを知れば、少なくとも、死後の世界を恐れる必要はまったくなくなるのです。


大川隆法総裁著『霊的世界のほんとうの話。』より

霊的世界のほんとうの話
霊的世界のほんとうの話。―スピリチュアル幸福生活



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管理人:オーパ
『幸福の科学』の信仰の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたい。この世が、限りなくユートピア世界になってほしい。心から願っています。(このブログは個人ブログ、幸福の科学非公式サイトです。)








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