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「われわれは、宇宙の中に浮かぶ小さな地球に住む、小さな生命体ではない」

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「われわれは、宇宙の中に浮かぶ小さな地球に住む、小さな生命体ではない」

ということと、

「宇宙には、神に対する信仰心を持った人たちが数多く存在している」

ということを述べておきます。

宇宙人は、やがて実在化して

地球人の前に姿を現し、

地球人に交流を求めてくるでしょう。

そのときは迫っています。

この話をあざ笑う人もいるでしょう。

しかし、あざ笑う前に、

どうか、心を開き、

素直な心でもって受け入れてください。

こういうことは今までに

学んだことがないはずです。

知らないだけなのです。

知らないことによって

善悪を裁くのはやめましょう。

真偽を裁くのをやめましょう。

そして、未知なるものを受け入れましょう。

「未知なるものの中に未来は確かに開けていくのだ」

ということを

どうか信じていただきたいのです。


大川隆法総裁著「不滅の法」より


不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)


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「心の働きは脳の作用ではない」

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「心の働きは脳の作用ではない」

世の多くの人々は、

「心とは脳の働きである」

と考えているだろうと思いますし、

現代医学でも、

そのように捉えられているようです。

しかし、私の多年にわたる霊界研究の結果、

「人間は、肉体が滅び、焼かれ、そして地上を去ったのちも、

生前と同じように、個性を持った考え方ができ、

それぞれの思いを出すことができる」

ということが判明しています。


したがって、

「心の働きは脳の作用ではない」ということなのです。

「肉体はなくとも、生前と同じように、

喜怒哀楽の感情を持ち、考えを持つ霊存在として、

人間が永遠に生き続けている」

ということを知ったとき、

人は、コペルニクス的転回、

発想の転換を

意識せざるをえなくなります。


大川隆法総裁著『不滅の法』より


不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)


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「あの世へ行くことは“生まれ変わり”」

成功の人生を歩む


「あの世へ行くことは“生まれ変わり”」


あの世に行く過程は、

この世のことを忘れていく過程でもあります。

あの世へ行くことは、

“生まれ変わり”なのです。


逆に、あの世からこの世に生れてくるときには、

あの世では“死”を迎えて、

この世で新しく誕生します。

あの世とこの世では正反対になるのです。
 
あの世の人は、

この世に生まれる人に対して、

お別れを言い、

涙を流しています。


この世に生れてくる人は、

この世に生まれると、

すべてを忘れてしまいます。


そして、成長していき、

この世の人間としての自覚、

知識、経験、記憶、をつくっていきます。


やがて、年を取り、

肉体が弱り、

記憶力も弱って、

あの世に行きます。


あの世に行くと、

また霊界の“赤ちゃん”です。

新しく、新生児のようになって、

霊界のことを一から学び直さなければいけないのです。


大川隆法総裁著『神秘の法』


神秘の法―次元の壁を超えて (OR books)



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「自分の気持ちを考えすぎない」

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「自分の気持ちを考えすぎない」

人間は、

自分中心に物事を考えているうちは、

なかなか幸福になれません。


幸福な人は、

自分自身のことを考えている時間が短くなってきます。

真に幸福な人は、

一日中、自分のことなどはまったく考えていません。


その反対に、

一日中、自分のことを考えている人は、

不幸な人です。


「自分を護りたい」

という気持ちは誰にもありますが、

自分が主語になっている人は、

残念ながら、

あまり幸福ではありません。


自分自身のことを考える時間を短くして、

ほかの人のことを思いやる時間を増やすことが大事です。


他の人の気持ちを考える時間を増やしてください。


「自分が傷ついた」というようなことを、

どれだけ長く考えても、

幸福にはなりません。


自分も他人を傷つけたことはあるはずなのに、

そちらのほうは考えずに、

自分が傷つけられたことばかりを考えている人は、

不幸な人です。


「自分が傷つけられたことなどは、もう、どうでもよい。

しかし、あのときに、私があの人を傷つけたことは、

いけないことだった」と考える人のほうがよいのです。


そのように、

まず、

「自分中心の感じ方をすることが多いならば、改めましょう」

ということです。


大川隆法総裁『ストロング・マインド』より


ストロング・マインド


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「四十九日」の意味

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死者の霊は、ほんとうは、死後二十一日ぐらい、三週間ぐらいしたら、もう、この世で、あまりうろうろしていてはいけないことになっています。長く見ても四十九日ぐらいまででしょう。

それまでは、しばらく“放し飼い”にされているというか、あの世にまだ完全には行けず、この世とあの世を行ったり来たりしているような状態で、ふらふらしていて、この世の、いろいろな人のことを見ています。

実は、死んだときに、導きの霊が来て、いったん、あの世に連れていかれるのですが、やはり、この世に戻ってくるのです。しばらくは、勉強のため、あの世とこの世の違いを学ぶために、この世にいられるのです。

やがて、日がたってきて、ある程度の期間が過ぎると、だいたい、霊体として、この世の物質的なものが少しずつ落ちてきます。それで、「そろそろ行こうではないか」と言われて、あの世に行くのです。

そして、よく言う「三途の川」のあたりに来て、それを渡ると、本格的な死者になります。「精霊界」と言ってもよいし、「幽界」と言ってもよいのですが、まず、霊界の入り口に入るのです。

三途の川の向こうでは、たいていの場合、菜の花など、きれいな花がたくさん咲いています。それから、昔の身内や友人など、いろいろな人が迎えに来ます。そのため、最初は「天国に来た」と錯覚するのですが、勘違いしてはいけないのは、「最初に行く所は天国ではない。まだ、天国・地獄をふるい分ける前の世界である」ということです。

死後、この世に何十日かいたように、あの世へ行っても、そういう、まだ自分の行く先が分からない所で、しばらく霊的生活をして、生前の反省をします。その際、生前のことを、いろいろと、映画のように見せられることもありますし、指導霊が来て、一個一個、確認することもあります。

いまは、この世に映像というものがあるので、あの世でも、映画のようなかたちで見ることもありますし、そうではなく、鏡のようなもので見ることもあります。

よく「閻魔帳」といいますが、昔、映像というものへの理解が少なかった時代には、生前にやったことが全部書かれている手帳のようなものが出たりすることも報告されています。

膨大な『霊界著述』を遺したスウェーデンボルグ(1688~1772)の報告によれば、彼は霊界で次のような場面を見たことがあるそうです。

ある精霊が、生前の反省をする場に臨みました。

その人は、生前は賄賂を取って不正行為をしていて、その詳細をメモ帳に書きとめていました。検査の霊が、その精霊の顔から全身を見つめていると、生前のメモ帳が、ポーンと地中から出てきて、精霊の足下で、パラパラ、パラパラとページがめくれていって、「その人の過去の罪状がどうだったか」ということが、他の精霊たちにも分かってしまったのです。

そのようにして反省をし、あの世での行く先が決まってくるわけです。


大川隆法総裁著『神秘の法』より


神秘の法―次元の壁を超えて



マンガ神秘の法―次元の壁を超えて (OR COMICS)


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『地獄はほんとうに存在するのか』

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実際に地獄界は存在しています。

それは非常に厳しい事実ですが、そういう世界が現にあるのです。

地獄界は、地上世界に極めて近い世界だと思ってよいでしょう。

地獄界にいる住人たちは、もちろん、肉体はすでになく、この世のものではありませんが、まだ地上への執着を非常に強く持っていて、どうしても魂として純化できないでいる人たちなのです。

つまり、「この世界の人々は、まだまだ霊として十分に目覚めていない」と言ってよいでしょう。

現に地獄にいる人たちの話を聞いてみても、自分が死んだことすら知らない人が大部分です。

なかには、自分が死んだことを知っている人もいますが、「どのようにしたらよいのか。自分たちは、今、どこにいるのか。何をなせばよいのか。何が違っていたのか」ということを分からない人が大部分なのです。

この地獄世界にも、心の波動に応じた、さまざまな段階があります。上段階から下段階までがあるのです。

例えば、比較的上層の世界には、闘争や破壊を中心に生きた者たちが行く阿修羅地獄や、男女の道を誤った者たちが行く色情地獄などが存在しています。また、詐欺、殺人、傷害、強盗などを行った者たち、いわゆる犯罪人たちの行く世界がありますが、それも程度に応じて段階が違っています。

地獄の最下層のほうには無間地獄があり、そこには、思想的に、あるいは宗教的に人々を間違わせ、狂わせた人々が行っています。霊の世界は、殺人などの肉体的な間違いや物質関係での間違いよりも、「人の心を狂わせる」という罪を最大の罪としています。

さらに、主として無間地獄を中心に発生した、魔界というものがあります。これは、地獄の魔王たち、サタンたちが住んでいる世界です。

ただ、肝心なことは、「地獄は決して罪や罰のためだけにあるのではない」ということです。

「地獄は、それぞれの人が心の傾向性に合わせて赴く世界である」という事実があります。

すなわち、その人の心が粗雑な波動を出し、いわば重い沈殿物を有しているがために、どうしても上のほうに上がっていくことができずに、底のほうに沈んでいくのです。

これが物理学的な理由ですが、これを道徳的に見るならば、「各人が、自分の良心に照らして、自分の生前の思いと行いを反省し、そして、自分自身が許せなくなると、地獄世界に行って、さらなる魂の修行をする」ということになるわけです。


ここで、忘れてはならないポイントが一つあります。

それは、「人間の魂は転生輪廻というかたちで地上に生まれ変わってくるが、地獄界からは決して生まれ変わってくることはない」という事実です。

いずれにしても、地獄にいる人たちは、仏の心に反した思いと行いを現実に出して生きていたわけであり、その点に関して、深い反省を要求されているのだと言えましょう。


幸福の科学・大川隆法総裁著『霊的世界のほんとうの話。』より


霊的世界のほんとうの話。―スピリチュアル幸福生活 (OR books)


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「自己憐憫では決して幸せにはなれない」

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人間は、「自分の悩みはとてつもなく大きい」と思いがちですが、たいていはそうではないのです。

それは過去にも現在にもある話であり、似たような悩みや苦しみを持った人は、ほかにもいる場合がほとんどなのです。


病気でも、それ以外の問題でも、悪い方ばかり考え、不安なほうばかり見ていく人がいます。

そうした傾向はどこかで断ち切らなくてはいけません。

「自分は憐れである。かわいそうである」という気持ちで、自分の内心をくすぐっている人が数多くいるのです。

「こんな病気をしたから、自分は不幸なのだ」「あのとき、ああした環境だったために、こうなった」「あれさえなければ」「こうであれば」ということを、あれこれ言う人はいくらでもいます。

これを自己憐憫といいます。

「自分がかわいそうだ」という感情です。

これは、他人から愛を与えられないので、一生懸命、自分で自分に愛を与えているのです。

こうして、自分で自分に肥料を与えているのですが、残念ながら、この肥料には毒素が入っていて、与え続けると、やがて草花は枯れてしまいます。

自己憐憫は、その人の心のまっすぐな成長を妨げるという意味において、毒素となっているのです。

「自分がかわいそうだ」と思って自分を愛している人は、いつまでたっても、豊かで素晴らしくはなれません。

何かにきっかけを見いだしては、自分をかわいそうな立場に追いやり、悲劇の主人公にまつり上げて、その傷口をなめている――こうした傾向のある人は数多くいますが、そうした人たちは、「自己憐憫では決して幸せにはなれない」ということに気づく必要があります。

結局、日を再び昇らせるための方法は、夜というものをあまりつかみ過ぎず、「夜は去っていくものだ」ということを知ることです。

すなわち、自分を憐れむ気持ちと早く決別しなければいけないのです。

決して自己憐憫はせず、たんたんと自分の王道を歩んでいくことです。

ここに日が昇っていく王道があるのです。

「自分も仏の子なのだ」という自覚を持ち、

その自覚に支えられて生きていくことが大切です。


大川隆法総裁著『不動心」より


不動心―人生の苦難を乗り越える法



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人生の苦難は自分に与えられた問題集

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人生の苦難は自分に与えられた問題集


人は、何度も何度も、

何十回、何百回、

あるいは、

それ以上の回数の

転生輪廻を繰り返している以上、

そのあいだには、

さまざまなパターンの人生があり、

そのつど、

さまざまな経験を積んでいるのです。

その意味では、

いま起きている苦難の原因は、

過去世で積み重ねてきたものまで見て

初めて、

「自分には、こんな人生勉強が残っていたのだ」

と分かることもあります。


一人ひとりの「人生の問題集」のなかには、

「犯罪遭遇―二十二歳」

「病気体験―四十四歳」など、

今回の人生のなかで取り組まなければならない

いくつかのテーマが入っています。


生命(いのち)の法―真実の人生を生き切るには


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『許すことは幸福への条件』




許すことは幸福への条件


みなさんを苦しめているもののなかに、

もし、人に対する裁き心や憎しみ、

怒りなどの感情があったなら、

どうか、それを乗り越えてください。


「許す」ということは、

抽象的なことではないのです。

言葉だけのことではないのです。

あなたが幸福になるために必要な条件なのです。


みなさんは、自分の思い通りにならない人がいたり、

思い通りにならない過去があったりするでしょうが、

許すという行為によって、

それを乗り越え、

安らぎの世界に入ることを願ってください。


許すことによって初めて、

夜、ぐっすりと眠れるようになります。

許すことによって初めて、

家の外を歩くと、

空気をおいしく感じ、

日の光を暖かく感じ、

人々の真心が分かるようになるのです。


大川隆法総裁著『ストロングマインド』より

ストロング・マインド―人生の壁を打ち破る法
ストロング・マインド―人生の壁を打ち破る法

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『「何をなさなかった」ではなく「何をなしたか」が問われる』




「何をなさなかった」ではなく「何をなしたか」が問われる


ロックフェラーという人は、事業で成功し、大金持ちになりましたが、社会的に非難を受けたため、50代で老衰して死にかけのようになってしまいました。

しかし、「世の中のために尽くすことをしなさい」というアドバイスを受け、彼はロックフェラー財団をつくり、巨万の富を使って、世界の貧しい国に、学校を建てたり、病院を建てたりしました。そのように、福祉のほうに資財を使い始めたら、とたんに健康を取り戻し、90数歳まで矍鑠としていきることができたのです。

彼は、人々から非難されて、つらい状態だったのですが、一種の福祉を行うようになったら、見違えるように若返って元気になり、長生きできたわけです。

したがって、成功しても、その代償として、きちんと社会に還元していけばよいのであり、「成功者が出ること自体が悪いことだ」というような考え方にまけてはいけないのです。才能があるならば、その才能はきちんといかしていったほうがいよいと思います。

青年の方は、個々の事情はさまざまでしょうが、やはり、思いは大きく持たなければいけないのです。せっかく、この世に生まれてきた以上、やはり、大きな仕事をしようと志したほうがよいと思います。

「人様から責められないような人生をいきればよい」というような生き方は、やはり、敗者の弁だと思います。「私は誰からも悪く言われませんでした」という人もいるかもしれませんが、「誰からも悪く言われなかった」ということは、「何も成し遂げなかった」ということと、ほとんど同じなのです。

何事も成し遂げなかった人は、誰からも悪く言われませんが、何事かを成し遂げた人は、非難、批判を、さんざん浴びるものです。

天国に入る鍵は、「何を成さなかった」ではなく、「何を成したか」ということにあります。それを知らなければなりません。

あの世に還ったときに、「あなたは、いったい何を成したか」ということを問われます。

「何を成さなかった」ではなく、「何を成したか」ということのほうが大事なのです。

それを知っていただきたいと思います。


大川隆法総裁「Think Big」より


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『真実の愛は、相手をとらえて離さないような束縛の愛、奪う愛、執着とは違う』




「真実の愛は、相手をとらえて離さないような束縛の愛、奪う愛ではない。つまり、執着とは違う」ということです。

また、「愛の本質は与えっきりの中にあり、無償性のなかにこそ、天国的なる性質が潜むのだ」ということです。

しかし、その反面、与える愛の実践者は、慈悲魔になりやすい傾向を有しているので、この点、注意が必要です。

宗教的人格は、自己犠牲的要素と慈悲魔的要素を多分に兼ね備えており、あの世的に生きる強さと、この世的な生き方におけるもろさを内包しがちなのです。

そのため、この世において、自己の人生を光り輝かせ、家庭や社会のユートピアを建設するには、実人生を生き抜く強さとしての「智慧」が必要になってきます。

ここでの「智慧」という言葉には、「人生を支配する法則を見抜く力」という意味合いが含まれています。この世では、一見、それぞれの人が無秩序に、バラバラの人生を生きているように見えながら、その実、ある人の身の上に起きたことは、その原因・結果の法則が他の人にも当てはまることが多いのです。

その意味では、「人生の法則とは何か」ということを常に見極める、心の修行が大切になってきます。そうすることによって、「これは自分を破滅させる原因になる」「このままでは職場の同僚は転落する」「こうした方面に努力することが自分を幸福にする」「この人との深いつきあいは自分に害を及ぼすことになる」などということが分かるようになるのです。

このように、原因・結果の連鎖としての「縁起の理法」を体得することが、智慧の眼を開くのです。そして、この智慧の眼が、その人に人生を生きていく上での力強さを与え、「与える愛」の思想を、自分を弱くしたり転落させたりする方向で使うことを禁ずるようになるでしょう。

幸福の科学の幸福感には、「利自即利他」という考え方があります。つまり、自分を真に幸福にする生き方が、同時に他人をも幸福にする生き方につながるところに、その真骨頂があるのです。

これは言葉を換えれば、智慧の力によって裏付けられた、「与える愛」の実践活動の中に、「自利利他円満」の境地が開けてくるということです。各人は、自分の人生を幸福にする責任を持ちつつ、他の人々を生かし、ユートピアを創り上げていかねばならないのです。



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『この世が「仮の世」である証拠』




この世が「仮の世」である証拠

「生・老・病・死」という苦しみ

「永遠の生命」についてのお話です。

私(大川隆法)は、さまざまな書物や法話のなかで、この永遠の生命についてくり返し述べてきましたが、皆さんは、その真実をいったいどれだけ心に刻んでいるでしょうか。それをもう一度、確認したいと思うのです。

人間の真実の生命は、有限のものではありません。そして、この世の人生と思っているものは、実は、真実のものではなく、かりそめのものにすぎません。

この世の数十年の人生が真実のものでない証拠は、「生・老・病・死」という言葉に象徴される「四苦」の存在にあります。

なぜ、人は生まれるに際して、苦しみのなかを通過してくるのでしょうか。なぜ、母親のお腹の中に宿り、長い長い時間、暗闇のなかでじっと耐えているのでしょうか。そして、泣きながら生まれてくるのでしょうか。

本来の世界の自由自在さを忘れ、不自由な世界に生まれんとする苦しみは、「生」の苦しみです。そしてそれは、また一から出直さなければならないという、手探りの人生、無明の人生の始まり(仏法真理を知らず、智慧がない状態)でもあります。

しかし、そのような生まれ方をしても、十年、二十年、三十年の歳月を過ごすうちに、人はこの世に愛着を覚え、この世の人生に執着するようになります。みずからがいとおしく思われ、この世の人間関係がいとおしく思われ、この世の世界のありとしあらゆるものを、自分の手に入れたいと思うようになります。

そして、青春を謳歌し、人生の盛りを迎えると、やがて「老い」が襲ってきます。からだの痛みや、顔の皺、白髪が現れ、そして何よりも、精神に張りがなくなり、未来が不透明となり、夢がなくなっていきます。また、過去を思い返しては、取り戻すことのできない青春の日の思い出に執着するようになります。

老いは、男性にも女性にも厳しく迫ってきて、それから逃れようとしても、結局は追いつかれてしまいます。

さらに、「病」の苦しみがあります。人はみな、「五体満足で、健康に一生を全うしたい」と思うのですが、残念ながら、人生の過程において病の時を得ます。

それは同時に、失意の時であり、本来、肉体が自分自身のものではなく、仮のものであることを感じさせられるときでもあります。自分のものでだと思っている肉体でさえ、自分のものではないのです。その証拠に、自分の自由にならないのです。

これは、特に病の時に象徴的に感じることです。健康になりたくてもなれない。あるいは、病になりたくなくてもなってしまう。それが、肉体が借り物であることの証拠なのです。

そして、「死」の苦しみです。これは、人間にとって最大の苦しみでしょう。

いま、ピンピンしている自分も、必ず死を迎えます。いまから百年前には、現在、生きている人のほとんどが、この地上には存在しませんでしたし、また、いまから百年以上先には、今生きている人は、おそらくほとんど存在しなくなっているでしょう。

このような不安のなかを生きていくのは、大変なことです。死の恐怖から逃れるために、この世のみに関心を持ち、享楽のなかを過ごしていても、やがて老いという苦しみがむち打ち、死が現実になります。年をとるにつれて、ちょうど木の葉が落ちていくように、身の回りで次々と人が死んでいきます。

こうした「生・老・病・死」の四苦の苦しみを見るにつけて、「真実とはいったい何であるのか。

真理とはいったい何であるのか」ということを問う哲学的衝動から自由でいられる人はまれでありましょう。


大川隆法総裁 スペッシャル メッセージより

永遠の生命の世界―人間は死んだらどうなるのか
永遠の生命の世界―人は死んだらどうなるか


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『与えられていることに感謝しよう』

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与えられていることに感謝しよう 

親への欲求不満は、大人になっても根っことして残る

世の中の人々の苦しみを見ていると、たいていの場合は、欲しいと思うものが手に入らないことによる苦しみです。


それは、他の人に対する、「こうしてほしい。ああしてほしい」という思いです。

それには、異性に対するものもあるでしょう。また、子供であれば、「自分の親に、こうしてほしい」という思いや、「自分の親に、もう少し力があったら、よかったのに」という思いもあるでしょう。

あるいは、すでに子供ではなく、充分、大人になっていても、「少なくとも、自分の現在の苦しみの原因は、子供時代に、自分の親に力がなかったことだ」というような場合もあります。

「親に経済力がなかった」「親が偉くなかった」「田舎者であった」ということもあれば、「親が、すでに年をとっていた」「親が病気であった」ということもあります。

そのようなことで、子供時代に、親に対する、いろいろな欲求不満があり、充足されなかったという場合もあるのです。大人になっても、それが根っこになって残るわけです。

この部分は、埋められるかというと、なかなか埋められないのです。


子供のほうは、この部分について充足されたいと思っても、充足されることは、ほとんどないのです。


こういう、幼少時、子供時代に自分が満たされなかった欲求不満のようなものが、社会人になってから、違ったかたちで表れることがあります。本来は親に対して求めていたものを、たとえば、上司、上役に対して求めたりするのです。親に求めていたのと同じような評価を、親の代わりに、会社の部長や社長、役員などに求めたがるわけです。

ところが、そのような振り替えをしても、たいていの場合、親に対して欲求不満を持ったのと同じように、また欲求不満になります。自分が思うようには満たされないのです。


与えられているものに感謝を

子供時代に受けた心の傷が、大人になってから、別なかたちで展開することが多くあります。それで、不幸な人生をつくるのです。

そのもとは、原点において、「前半生、自分は不幸であった。充足されなかった。だから、これを充足してくれないだろうか。埋め合わせてくれないだろうか」と思うところにあります。

そういう思いで人生を生きている人は、実は底なしの沼のようなもので、そういう人に対して、いくら与えても。その与えたものは消えて行ってしまうのです。

大事なことは何であるかというと、「もう、いいかげんに、『人から貰うことで自分が幸福になれる』という考えを捨ててはどうか」ということです。

これは、きりがないのです。

物質的な面、物やお金についても、あるいは、他の人からの社会的評価や名声、その他についても、健康についても、きりがありません。

「これで最高。これで完璧」というものはないのです。

苦しみのもとは、たいていの場合、自分自身がつくりだしているのです。

「人から奪いたい。取りたい。貰いたい。貰わなければ幸福になれない」という思いをやめて、自分が現に与えられているものを発見し、あるいは、他の人の悪いところではなく、よいところを見ていこうとすると、そういう評価を変えること、考え方を変えること自体が、実は人に与えているのです。


人に与えるほうに思いを切り替える

「足りないところだけを見て、それを求め続けた場合、幸福になれる人間はいないのだ」ということを、まず悟らなければなりません。

すでに多くのものを与えられているのです。

それに感謝することから出発すると、人はお返しをしなければいけなくなり、お返しの人生になります。

実を言うと、お返しの人生においては、不幸になる道がありません。

自分がお返しの人生に入ったときには、不幸はないのです。

そのため、人を愛するほう、人に与えるほうに思いを切り替えたならば、その「観の転回」をすることによって、結局、人生において不幸が消えていくのです。

むしろ、それは幸福の創造なのです。


大川隆法総裁著『幸福の法』より

幸福の法―人間を幸福にする四つの原理
幸福の法―人間を幸福にする四つの原理

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『健康の復活のためのキーワード』




健康の復活のためのキーワード


健康になるためには、積極的で明るい想念を持って生きることが非常に大事なのです。

健康になるためのキーワードを考えてみると、それは「反省」「感謝」「精進」「祈り」の四つになると思います。


キーワード①「反省」

まず、「反省」によって、霊体のなかにある悪想念の部分を除去することが大事です。

反省によって仏の光を入れることです。


キーワード②「感謝」

次は「感謝」です。

病人には、たいてい感謝の心がありません。

不平不満や愚痴は出ますが、感謝の思いは出ないことが多いのです。

したがって、病気になりたくなければ、いろいろな人に感謝をすることが大事です。

現に病気になっている場合には、周りの看護師や家族などに対する感謝を心がけてください。

そうすると病気は良くなります。

他人を責める心があると病気は良くなりません。

病気は、本人に、反省を促したり、家族のありがたみを教えたりする機会でもあります。

反省や感謝を教えるための修行の機会でもあるわけです。


キーワード③「精進」

それから、「精進」です。

食事や運動など、体のコントロールの大切さ、「医学的知識も勉強しながら、自分の健康を維持していこう」という精進の心が不可欠です。


キーワード④「祈り」

最後は祈りです。

「良くなりたい」という気持ちを持ち、自分の人生全体を設計することです。

「自分としては、こういう人生にしたい。

このくらいの年齢までは、元気で現役で働きたい。

その後も、このようにして家族と暮らしたい」

という人生設計を、繰り返し繰り返し、心のなかに思い描くことです。

毎日、自分の健康生活について設計し、祈ることによって、次第しだいに、生活や考え方、行動など、いろいろなものが、それに合致したものになっていきます。


この「反省」「感謝」「精進」「祈り」という四つの言葉を、健康を復活させるためのキーワードにしてください。


大川隆法総裁著『超・絶対健康法』より

超・絶対健康法―奇跡のヒーリング・パワー
超・絶対健康法―奇跡のヒーリング・パワー

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『この世の人生は一種の「試験」』

この世の人生は一種の「試験」


この世の人生は一種の「試験」


死後の世界について、「知らない」「信じられない」という人の考えは、「もし、ほんとうに、そのような世界があり、仏や神がいるならば、それをこの世の人間に分かるようにしていなければ、不親切ではないか。そういう存在があるのなら、もっと人間に分かるようにしているはずである。人間に分かるようになっていない以上、そういうもの存在しないのだ。実験して確かめることもできないのでは、信じるに値しない」ということだと思います。

しかし、誰もが分かるようになっていないことには理由があるのです。

その理由とは、「この世の世界そのもの、数十年の人生そのものが、ある意味で、一種の試験である」ということです。

人間は、本来の世界である霊的世界から生まれてきて、肉体に宿り、物質世界のなかで生きています。

そして、「この物質世界のなかで生きながら、どれだけ霊的な人生観を手に入れることができるか。かつて仏神から学んだ教えを、どれだけ実体験し、実践できるか」ということを、ある意味で試されています。

人間は、人生において、さまざまな経験を積んでいきますが、それは試験でもあるのです。


その試験が終わったとき、人生が終わったときには、霊的世界のことが分かるようになっています。

試験が終わると、人生の総復習が行われて、「あなたの今回の人生は、こうでした」ということが明らかにされます。

それまでの何十年間かのあいだは蓋をされているのです。

ただ、ときどき、親切な人がいて、ヒントを与えてくれることはあります。

いわば「辞書持ち込み可」にあたるかもしれません。


人生は一種の試験なので、答えを、全部、教えるわけにはいかないのです。

しかし、ヒントは、人生の途中で、たくさん与えられるようになっています。

さまざまな気づきの機会が用意されているのです。


大川隆法総裁著『信仰のすすめ』より

信仰のすすめ―泥中の花・透明な風の如く
信仰のすすめ―泥中の花・透明な風の如く

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管理人:オーパ
『幸福の科学』の信仰の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたい。この世が、限りなくユートピア世界になってほしい。心から願っています。(このブログは個人ブログ、幸福の科学非公式サイトです。)








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